panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

謹賀新年2020

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 とうとう2020になり、当方には二度目の東京オリンピックの年である。チケットはないので実感も期待もないのだが、心配はある。うまくいくのかではなく、そのあとどうなるのか日本。

 函館は暖冬で、大晦日と元日に雪はよく降ったが、車の運転は良好だった。セカンドに落として運転すれば、アイスバーンでない限り、滑ることはない。と高をくくっているわけではなく、結果として無事生還したということではあるが。

 東京の暖かさはもう忘れた。比べるのが悪い。しかし何しろ暖冬に加えて、今回は防寒準備が完備していたので、全然、問題はなかった。問題はむしろ暑さというか、熱さだった。

 居間と接続する母の寝室でもストーブを切らさず焚いており、戸を少し開けているので居間につねに暖気が流入しつづける結果、たまに廊下か台所の戸を開けないと、苦しいという状態だった。むしろいったん寒い廊下に出て、体を寒気にさらしてせいせいするということが必要だった。結局、苦悩の居間、ひやっとする廊下、そうでもない二階の部屋、そして適度に暖かい電気毛布の寝具という具合で、これが暖冬の、うちにおける正体だった。

 それにしても二年前の厳寒の記憶が強く、備えあれば患いなし、ということわざ通りの対応をしたわけだが、現実には過剰と普通のはざまを生きて、帰京することになった。

 ということで、天国のような関東の冬にも怒りは覚えない。覚えるとすれば、函館でかかった電気代(当然来月実家の口座から落ちるわけだが、ぼけた親は送られてくる通知には必ず目を通して、いったんは落ち込むだろう。すぐ忘れるだろうが)だけである。