panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ベートーヴェンな正月


  明後日が、2ヶ所に引っ越しを行う日なので、帰京した。明日は準備のためそっちに泊り込む。といってもすべての準備は終っているはずなので、ポキは宴会の準備というか、最後の晩餐に主賓として登場するべく向かうということであろうか。
  ともあれ極寒の北の国から帰った。酸っぱい・・・わかる人にはわかれ!「寒い国から帰ったスパイ」の本歌どりである。
  函館は今年に入っては暖冬だったのだが、それでもいったん外に出ればおしゃれなマフラーではまったく用をなさない。東北に10年以上いたのであるが、やはり北海道は完全に別世界である。メイフラワー号でわたった狂信徒たちの半分は北米の寒さと飢餓で翌年まで半分も生き残れなかったというが、ポキが初日に味わった絶望感はまさにピルグリム・ファーザーズだったといってよい。死ぬかと思った。
  いま首都圏に帰りついて思うのはマンションのありがたさである。コンパクトで狭い。だから寒くない。ポキの函館の、別に決して大きくはない実家の部屋は、凍えるように冷たい仏間の上にある。だから下から暖気はこない。人も普段はいない。ためにもう布団に足をいれたときには、凍えていた。
  あわてて長袖の下着とももひきを直感的な鋭さでみつけて着用した。ポキは年中ランニングなのだが、このときばかりはそうもいってはいられないという切迫感でただちに決断したのである。
  そして煉獄におもむくダンテの気概をもってまた足をそっと布団にいれる、腰をゆっくりおろして足を下の方にやると、なんとそこには湯たんぽがあったのである。
  通称百合子と称しているマイ・ママ、長年ペンネームで世間をわたってきたこの母(だからといって何か犯罪をおかして逃亡中なのではない)、足が悪くなって一寸刻みにしか歩けないこのもの(!)が一段ごとに重い湯たんぽをひきずって二階まで運び、布団の奥に置いておいてくれたのであった。
  とにかくようやく人心地ついたが、問題は頭というか顔である。顔はだいたいポキの場合、布団の外に出しておく。あなたはどう?その結果、鼻が極端に冷却化して寝るに寝れないのである。体はあったまったのに顔が冷たい、というシベリア送りのドストエフスキーよりはましな状況で、道産子なのにやわになったポキはかくして一夜苦しい睡眠を眠ったのであった。
  翌日、いとこにお願いして、車で山善のヒーターと電気あんかを買いに走ったことはいうまでもない。
  ともあれ表題と別のことを書いたが、そのことはまた後で。ただ、ポキはベト君をあっちで聴いていたわけではない。
  聴いていたのはヴァイス。ポキは夜はやはりあっちではなかなか寝つけないので、ステレオを組み立ててカセットを使えるようにし、昔録音して実家に置いておいたヴァイスのリュートを久しぶりに毎夜聴いたのである。一週間。ヴァイスはリュートの当時天才だったのだが、そしてポキも好きだったのに10年以上聴いていなかった。聴けばわかるように、まことに見事な曲ばかり。昔ヴィヴァルテで出ていた演奏家のがみつからないので(これで聴いていたのだが)、このユーチューブも悪くない。