panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

仕事をおえるが、終わらない一週間


  帰京し仕事をおえ、ようやく一段落。スマホが極端に電池切れになり、迷惑をかけていると思うが、復旧は後日ということで。
  ともあれ初日の函館が寒くて震えがきた。ももひきと長袖の下着を着込んで寝たが、ヒーターと電気あんかはつけっぱなし。悲しいほど鼻が痛い。鼻はそとに出ているので、どうしてもおかしくなる。この鼻の冷えというのがたまらなく、不快。でも翌日以降はやや暖気となり、雨も降るとアスファルトの雪はきれいさっぱり消えていた。
  そうなるともうレンタカーはすべることもなく、時速も30キロ以上でる。アイスバーン状態で30キロ超で走るタクシーをみていると、暴走特急といったロシア映画を思い出していたのだが。
  東京は温かい。人心もそうなのかは不明だが、とにかく震えはこない。震えがくるほどの寒さのなかで道産子は一生、生きるのである。なんという一生だろうか。という思いをやはり思う数日だった。
  古い家なので、寒さが身に沁みるが、母(ただし実母)は寝室の暖房を一日中切らすことなく、居間の主たるストーブもあわせて使用し、夜は戸を開け放って、食堂(これが思う以上に無意味に、つまり母一人には広い)まで温かみがいくようにしてあるので、あともう少し歩けばトイレに達する。
  しかしポキは二階から降りてくるのだが、深夜にトイレに行くことは一度もなく、結局、青柳いずみこ『六本指のゴルトベルク』を一冊読み切った。カストラートの禁止はナポレオンの力によることがわかった。啓蒙主義のフランスでは断種という措置を許すことはできなかったのである。なるーほど。ナポ君の強制力をもってはじめてカストラート(ただしオペラにおける)は禁止になった。ということは教会では二十世紀までそういう人物はいたのである。なんという文明であろうか。ヨーロッパ。
  冬はいい?もういいって、の間違いでは?