panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

美術史家田中英道の今日


田中英道「イスラエルの学会と『日本国紀』」 日本国史学会 第62回連続講演会 代表挨拶 平成31年1月12日 拓殖大学

 昔のことを思い、頭脳のなかで再整理し、評価の軸を考え直し、そして再評価し、思い出としてひたるものはひたり、そうでないものについてはひたらないということを朝繰り返しているのだが、田中英道はその昔はポキの学生のころ同じ大学の美術史の教員だった。

 大学進学上、美術史は選考学科の一つだったポキなので(ま、西洋史も哲学もだが。とはいえ就職を考えると法経が男子の選考として残るのだが。そして残ったのだが)、当時から少し注目していた。ルネサンス美術は教養人の必須領域なので大学時代、若桑みどりとかも含めて読んでいた。本は高かったので、繰り返し本屋の一隅でその種の本が並んでいるのを見るというのが日々の日課だったが、たまに買うときには清水寺から飛び降りるがごとき英雄主義的気分になったものである。

 そのルネサンス芸術の専門家がその後、日本美術についても論じ、ちょっと変だとか思っているうちに、日本国史学会というものを創設して会長に収まって、こういう議論をしている。たくさんYouTubeにあがっている。

 一冊念のため買ってよんでみると、日本のリベラルは左翼リベラルであって、それはマルクス主義の偽装というか本質的にマルクス主義であるとしており、リベラルは日本には不必要であると論じている。マルクス主義自体はユダヤ人のある種のものの考え方を体現しており、ユダヤ人こそが近代の主役みたいなものだったという。コロンブス自身がユダヤ人であり、上でもハーバードの教授の6割はユダヤ人だというのだが、戦後はこの国をもたない民独特の思考が跋扈している。日本も例外ではない。とくにフランクフルト学派こそが知的にはユダヤ的思考の中心的な学説、運動母体であったという形で、いつも批判的に言及される。

 おそらく、多くの人が、とんでも学会、とんでも学説、とんでも右翼思想家と田中先生を批判するだろうが、いまだに西洋コンプレックスが学問という形をとってその発散を形成している大学なんかのことを思うと、果たして彼の主張を一蹴してよいものだろうかと、せっせとYouTubeを流しているところである。

 こういうことをいうのはかなり勇気のいることだが、西部や江藤淳、三島も批判の対象で、その配慮のないところがまた、興味深い。