panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

3月1日来る


  明日も早くから重要な仕事なので、今日は都内に泊まることにして、いったん職場にきた。閑散として温かい。16度にはなっている。函館は暴風雪。なななな、なんという日本国。
  いつまでつづく泥濘(ぬかるみ)ぞ!軍隊的表現だと思うが、ポキのこの一年もぬかるみだった。グミではない。ぬかぐみとはいわないだろ?ぬかどこでもない。漬け物が食べたいわけではない。
  手帳をみると、来週が月曜日から苦しい日々だ。第3週は後半がややすいている。なにかあったらこの辺にアポを入れたいものである。でも南国に逃げ出すものもいるし、そうは問屋が卸さない。
  ルージイッチコヴァのような貧弱なハープシコードを弾く人間はもういなくなったが、でも1960年代後半から70年代前半に大学前のポキが慣れていた音色なものだから、妙に気に入る。いいわけではないが、退屈でもあるが、それはそれとして。
  でも耐えることを学んだ一年間だった。いいかえると、それまでの101年間、ポキは耐える孤島ではあったが、耐えることを学んだわけではなかった。カーリング娘や高木姉妹から、どうも日本の本領は団結とか協力にあることを否定できないことがはっきりしたからである。ここで耐えるとは、したがって、小集団の微温的体質に耐えるということを意味する。ま、耐えてみせたわけさ。誰にって、自分に対してだが。
  それにしても共同体的結束が生れるのは、明らかに自然環境に恵まれないところでである。西欧がまずそれ。日本の苛烈な自然環境はずばり定期的な災害であろう。しかし東南アジアつまり南国では団結の必要がないから、共同体的規制は弱いし、共同体形成への意欲も乏しい。経験も弱い。東南アジアは基本的に豊かだ。対してアラブは砂漠の苛烈さが共同体の必要を困難にする。つまりあまりに恵まれない環境は共同体の形成を阻害するということだろう。
  中国はかなりはやく専制政治(帝国型統治)が成立し、共同体そのものをつぶしにかかったとえいる。中国は華北は自然環境は厳しかったが、政治の優位が有為な共同体の存続をダメにしたということであろう。
  かくして共同して事に当たる時代としての近代になって世界を席巻したのは西欧と日本だったが、いずれも食べ物は貧しく、自然は厳しいものであった。それがいまの豊かさの背景であった。