panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

よくわからない評価


  北陸だの秋田だの北海道は雪なのにこの辺は晴天だ。申し訳ない気分になって、朝、この二枚組を聴く。セミラミーデスというバビロニアの女王に関係するオペラのアリアを集めたもの。前に紹介したクレオパトラのと同じような趣旨のCD。ロッシーニが有名だ。
  テレビではオリンピック。家人は完全に興味を失っているので、なかなか見ることができないが、ポキも関心はない。ただ一点、距離だの美しさだのを点数化するモーグルは、アメリカの大学入試のように、いかさまだろうということ。ジャンプもそうだ。
  白人の強いところはそのままの粗点、弱いところは点数換算して、あるいはルールを変更して端的には日本人を排除しようとする悪意を感じて、オリンピックはいやな気分になる。韓国のオリンピックだしますますいやな気分がする。
  アメリカの大学が粗点主義を放棄して面接などをするのは、ユダヤ人排除だった。イギリスでは伝統的に面接入学だが、これだって階級再生産だ。同じことをオリンピックでするわけであるから、それほど罪悪感はないのかもしれない。
  つまりそういう持てるものの優位を是が非でも維持するのが欧米流である。それに悪意はない。きっと。そういう社会なのだ。
  ちなみにこの歌手はジュノーの足元にも及ばない。ベルナスコーニの11分の曲は名曲だと思うが、ジュノーが歌えばもっと陶酔できるものを。でも知らない曲ばかりだし、とてもありがたい。