panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

秘密のケンミンshowで人生の航海と後悔を感じることについて


【西部ゼミナール】 5/18 「錯乱腐乱に向かうエコノミックス」

 秘密のケンミンショーをみていると、みのもんたがゾンビではないかと思うが(死んでいるようにみえるが、たまに起きて発言したりものを食べたりしている)、そういうことではない。

 ケンミンショーをみるということは、地方の豊かさとユーモアと歴史を意図せずして維持している人々の屈託ない顔をみるということである。これは、いいかえると、東京が体現する上昇志向と啓蒙主義と批判精神というもの、要は近代的動員という現象が、またその帰結としての今日の疲弊が、ほんとに無駄な努力とその産物であったのではないかということを思うということである。

 そういうものをずっと警戒して生きてきたが、実相は動員に正面から抵抗したわけでもなく、後悔は深い。しかし正面から抵抗したとしても、結果は同じことか、もっと悲惨なものになったであろう。それでも正面から抵抗すべきであったかもしれないと二重に後悔するのであった。

 以上を要するに、空洞化しているのは地方ではなく、東京だということである。東京こそ空洞のカテドラルであるなあ。