panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

世の中は意外である


  四時になった。二回会合があって三回目は5時からである。うーん。共同体的決定には会議である。近代は共同体をさまざまにつぶしてきたが、近代組織の運営自体は会議の連続である。会議こそ前近代と近代を貫く生活の実態である。会議テーゼ。
  ということで空いた時間にブログを書くことを思いつく。忘れていた。
  昨日、フィリピン研修の素案を夜9時までかかって職場で書いた。少しさっぱりしたが、フィリピンはさっぱりした場所ではない。ビーチ・ヴィラと銘打つ宿舎のプールで一人取り残されて、本を読んでいる自分が想像できる。あとの12人はどこか海に出て、バナナボートで遊んでいるにちがいない。バナナボート、もう一度乗りたいなあと少年のように思うのであった。
  東南アジアはもう苦手だが、知識だけは人並みにあるので、少しは詳しい。でもスラムっていうものがいまのセブ島に厳然とあるのだろうか。貧困地帯はスラムとは違う。非合法居住がスラムである。だからできれば足を踏み入れたくはないが、研修テーマをリゾートとスラムにしてしまった以上、やはり観察はしてくるつもりなのだが。
  しかし内心は石立鉄男なこの写真。山折哲雄もてつおだが、同じてつおでもなあ。ちなみに石立はポキのロールモデルの一人である。いくつかロールモデルがあるが、いまとなってみれば、どれもこれも失敗モデルだったなあと、いまさらながら後悔することがある。でも後悔ってどうすればいいの?・・・こうかい?というようなことを云う人間になってしまったんだから、ロールモデルの影響は大きい。