panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

最終日の混乱的整然


  最終日なのだが、慌ただしく業者がやってきた。何組かいるようで、作業にしたがって業者は違う。その連携作業である。
  タイではあるときは電気の取り付けにきた男が、翌日は排水口のつまりを直しにきていた。したがって業務は素人っぽく杜撰(ずさん)で、おまけに頻繁に故障する。同じく分業化していてもイギリスにおける同様の作業も、業者の研鑽が欠けているので、タイに同じく、頻繁に故障が発生する。
  だから日本が例外なのである。この連携という組織の組み方こそ、おそらくは、日本的作業の強みなのだ。協調性、協力、連帯、死なばもろとも、一億玉砕の精神が日本文化の神髄なのである。きっと。
  ただ在日日本人としてポキは、廊下から180センチの高価な本棚二本を臨時に移した自室に閉じ籠もり、連携作業から排除されている。本棚がまるで要塞のように机とベッドを隔てる狭いこの参謀本部にいて、ポキは日本的連帯から一貫して除外された自らの101年人生に思いをはせるのであった。そういう朝10時。
  きっとこの臨時措置は半永久的措置となって、寝室はヒトラーの地下要塞のように敗戦を待つのではないかと思うのである。・・・でも敗戦ってなに?