panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

年末年始にローマの休日


  帰省の疲れで今日は10時半まで起き上がれなかった。実は函館でもそのくらいまで寝ていることができれば、ポキも疲れないのだが、母(ただし実母)が6時くらいに起きて、仏間で般若心経などを諳(そらん)じているので、8時過ぎには起きないといけないと思うのである。
  夏には5時に起きて、いろいろ仏事をやっているが、何とかならんのか。日中はいつも眠気に襲われる母(たたじ相変わらず実母)だが、それは寄る年波によるのではなく、ただ寝不足だよと云ってみるのだか、そこはウェーバーのいう伝統主義的精神の権化として、ああん?!とかいなされるだけなのだが、そうなんだよ、普通の人はとか思って、ときには黙り、ときには爆発するポキ。
  実際のところはポキの起床は、日々の闘争で、日々遅れていき、気づくと9時すぎることはあるのだが、全然休んだ気にならない。起きなければと思い続けているので、観念的金縛りにあっているからである。だから、こちらでは6時前に気楽に起きれるポキなのに、あちらではいつも8時過ぎでも寝たりない。何とかせいや!と、思わずJソールブラザーズのようなことをつぶやくポキ。
  という日々もすぎ、今日は10時半にようやく起床した。明日から仕事だからまた6時くらいには目を覚ますことになるだろう。
  さてトイレ掃除が足りないようなので、今日は家人1と力をあわせてやって、とうとうトイレ中を解体している最中に、ローマの休日がテレビで放映された。居間にもどってはちょっと見、またトイレで戦場、いや煽情、いや洗浄作業をしているうちに、映画は終ってしまったが、007とローマの休日は年末年始の恒例で、いまや日本のテレビの第9だなあとか思っているうちに、トイレ作業も終了した。
  かくして何度も何度も掃除を行った末に、ウォシュレットは何年かおきに、買い換えるというのが望ましいブルジョワ生活なのだということを急激に思い知る。ただしミドルな中産階級としては、それは瞬発的な勢いを得てはじめて可能になる決断なのであった。ではでは。
  ・・・ではでは。って?