panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

雨の正月明け

(年末の函館)
  昨日は引越であったが、運送屋の人々約二人の活躍その他我々の奮闘の結果、無事終った。しかし翌日、つまり今日はあまりの疲労で、早く起きることができない。大森の家人たちが二つに分かれたので、馬込のほうに電話してみると10時すぎても一人は寝ていたから、やはり昨日は誰も疲労したのである。もう、一日に二軒への引越はないと思うが、クワバラクワバラおはら。
  かくして積み重なった段ボールのなかで大森解散を宣言したが、これは誰か芸人の一家とは違うので誤解しないように。いずれにしても分家1には家人1と家人2がおり、分家2には家人3がいる。分家2には新しく家人4も加わった。家人4はモー娘のメンバーと同じ名前だが、同一人物ではない。
  ともあれ少し、出たゴミを分担させられたので、午後に降り出した雨のなかをいろいろ立ち回ったが、その間、ポキはポキの仕事があって、明後日の分をなんとか形にした。まだ残っている分は今夜の仕事である。
  6時に夕飯をつくり食べている最中、全然テレビでみるものがないので(録画を三つしているので、録画したものを見ることができない。うちのテレビは一時に最大限3番組の録画その他しかできない)、ちびまるこちゃんを見ていると、家族団欒がテーマで、というかそういう昭和40年代を背景にしているわけであるが、思わずスパゲゲッティに涙がこぼれそうになる。
  考えるまでもなく、大家族は近代化の敵だった。そう戦後社会科学は教えてきたのである。暗黙どころか公然と。しかしその結果、近代化はしたが、このテイタラクである。立ち上がるまで生まれて一年以上もかかる人間というサルから集団的基盤を根こそぎにしようというような壮大で破壊的な行為を社会科学は敢行してきた。何十年にもわたって。そりゃ、そういうパイオニアたちはクリスチャンだったりしたわけで、本人に悪意はなかったかもしれないが、そういう家族的基盤をないがしろにして主体だの個人主義だのと騒いだ結果がこれである。でもそうなると今度は社会科学は独居死を問題視する。でもそれがもともと社会科学の夢だったはずなのである。
  アホらしい。長年こういう愚策を超壮大な試みとして官民一体となって行うよう推奨してきた日本戦後社会科学のことを思うと、そのはじっこの一員とはいえ、アホらしくてスパゲティが涙に濡れるかもしれないというリスクと戦う羽目になってしまう今日なのだった。
  明日もまた一部、引越にかかわって、明後日をむかえる。
  なお、まだメールは開けていないので、急ぎの用のある人には申し訳ない。年賀状も未見である。明後日がポキの仕事始めである。

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  さきほど読みなおしたら誤解を招くかもしれないと思って、一言。家族が崩壊して悲しいというのではなく、実際は家族が増えたのである。この文面だけだと何だか社会科学にかこつけて、悲嘆しているようにみえる可能性がある。ただ、家族という制度を、非常に皮相なレベルで政策的意識的にどうにかしてこようとして、実際ある意味それは成功した戦後日本の状況に呆然としているということなのである。それを今回の家族の増員?というのを契機に長くならない範囲で何かいおうとしてこうなった。蒲田方面にさらに支店を広げたという感じなのであって、、、。といっても知ってる人は知ってるし、特別正確に理解してもらう必要もないのだが。うーん、それにしてもメールを開けるのが億劫だなあ。