panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

石破も野田も


  こういうことはとくに関心はないのだが、安倍もモダニストである。リベラルな政治家だし、戦後民主主義の原則におそらく忠実である。だから憲法改正は当然、戦後民主主義の徹底である。あるいは、70年をすぎた戦後民主主を守るための手段かもしれない。
  その点でいえば、石破も野田聖子も、もっと激しく戦後民主主義的だ。その意味で次の首相としては失格なのではないか。
  そもそもこの年代は首相にするような教育を受けていない。よい子学生であれば、学生時代に日本贖罪主義的な歴史観と社会科学で教育を受けてきたわけで、卒業後もそんな歴史的根拠も意味もない架空の規範を植え付けられてきたのが抜けないようなのである。一線の政治家として国際政治の現実に身をもって接してきていたはずなのに、そうであるのは悲しいというより、腹立たしい。アホか?・・・アホなんである。おそらく。よい子ぶるんじゃない!と叱ってやるだれかがいないといけないのだがなあ。
  たかが数年しか受けなかった大学教育の生涯の奴隷であるということは、自分の頭でものを考えないということだろう。そんな人々に首相になってもらってどうする?
  今回の首相選もしたがって安倍で究極の選択をすることになるだろう。石破には二度会っているはずなのだが、軍事的センスがあるのだろうか。ただの軍事オタクなのではないか。戦後民主主義を唱える軍事オタクに首相は務まらない。
  イギリスがあれほどの人種差別(黒人奴隷の三角貿易や、間接統治に伴う過酷な民族差別)を近代中行っているのに責められないし、一向に責められる気配のないのはどうしたことか。対してこの日本に対する扱いのひどさは、戦後の高等教育機関あげての「他国中心主義」的教育が一役買っているはずである。
  これほど自国愛の薄い国家社会が今後、ますます他国どうでもよい主義の周辺国に囲まれてやっていけるかどうかを、さすがのポキも心配している。
  マーフィーの戦いは高校時代にみたと思うが、意味が今一つ不明だった。アラビアのロレンスの延長上の人物造形だとは思ったが、戦争を戦後民主主義と置き換えれば、石破連中のやっていることの寓意になるのかもしれない。・・・ちみなに奥さんも出演している。オトゥールの奥さんはいまやなつかしい言葉で言えば、オールドミスの教師風の女優である。あ、第三者委員会を組織されるかも、、、。