panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

生グレープフルーツサワー化するポキ


  クリスマスも近い。うちでは明日がクリスマスである。函館から届いたタラバと毛ガニが副菜になるという年に一度の豪華な食事だが、別にクリスマスにやる必要もなく、来年は4月8日にやるかもしれない。・・・ちなみにこの日は釈迦の誕生日。戦前は激しく祝われていた。
  バッハのカンタータ110番。三曲目にバーバラ・ボニーがモツ君の大ミサ曲のおそらく11曲目を歌う。前にオージェで紹介したもの。次のクリスマスオラトリオも名曲である。西欧とはいうのは巨大な文明であるなあ。
  先日、生グレープフルーツサワーをたのんだら、店員が間違えてりんごサワーを回してきた。ところがサワー初心者であるポキは額面通りに受け取って、ぐびぐび飲んで、ここのは美味いなあとか思って、もう一人のサワー愛好若人(女子)をみると、不思議な顔をしている。ここでさすがに気づいたのである。これはリンゴサワーだと。
  ということで交換して飲んだが、ようやく100年人生となって気づいたのはサワーを馬鹿にしてはならないということである。とくに最近の国産ビールが主観的には著しくまずくなっているように感じられるので、そう思うようになったのかもしれないが、誰もビールをたのまないようになったら(そのときは実は二人[男子]はビールを注文したのだが)、永遠にビールを飲まないでいることになるのかもしれない。社交ツールとしてのビールの時代は終わった。
  だから最初の一杯の注文に10分もかかる。そういう時代なのだ。
  さて先日、大酒飲みで100キロもある友人が、好きなのはビールだけ。あとは酔いたいから飲んでるだけ。日本酒も他のアルコールもうまいと思えない。とぽつりというのだった。でも彼は学生時代からの名うての大酒飲みと評判なのだ。ビールだけがうまい、というのはちょっと前のポキではないか。どうしてもっと早く云ってくれなかったのだろうか。なら、内向して自分だけがビール以外の酒の味がわからないという孤独な自覚が決して孤立的なものでないとわかったのに。
  ということで女子学生化しつつ、りんごと生グレープフルーツの勝敗を考える午後のポキなのであった。