panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ザ・神宮


  職場にきて必要な仕事をして回答を待っている状態である。午後1時半。うーん。依然、体調が本調子ではない。過労や老化や劣化のせいではない。断じてそれは旅行疲れである。
  疲れて本が読めないので、ブログを引き続き書くことにする。癒しなのか。ブログは。伊勢から一気に名古屋まで高速道路で戻ったのが疲労の原因として大きい。義母を見舞って、新幹線で戻った。
  ちょっと脱線するが(では本線は何かという問題が残る)、名古屋は大都市である。空には摩天楼がこれでもかと林立している。が地上をみると、ちぐはぐな衣装の人が少なくない。少なくないなんて、何と鷹揚な性格なのだろうか。我輩は。正確には、金はかかっているが、成り金趣味か田舎臭い感じがして、我輩には、、、、、好感がもてる。ふふふ。好感である。
  ともあれ、伊勢神宮の正式名称は神宮というらしい。新聞のロンドンタイムズがほんとはザ・タイムズというのと同じだ。漢字が中国ではただ字といわれているのとも同じだ。他に類似のものがなかったのだから、名称はシンプルとなるわけである。
  神宮は内宮と外宮(いずれも、ぐうではなく、くうと読む)からなる。写真は外宮。外宮、次いで内宮と回るのが本来らしいが、こういう人たちのいう手続きや儀式なんていうのは、人を脅すための精神的政治的手段であるから、どっちでもいいともいえるが、もう神の領域にはいったかもしれない100年我輩は当然その順番にまわってみた。
  実は我輩は伊勢神宮は二度目である。だから論理的には20年前の姿を知っているのである。ただ記憶がゆがんでいて、はっきり記憶しているのは赤福本店の茶店と途中で食べた大ハマグリだけなのだ。と、決して威張っているわけではないが、まったく記憶がない。どうしたことか。きっと信心極小時代の我輩には参拝が馬鹿らしかったのだ。そのときは共同研究できたのだが。
  だからほんとに参詣したのかすらも怪しい。でも伊勢に来て、参詣しないやからはいないから、我輩も参拝したはずなのだ。でも皆無である。・・・月日のたつのを想う。JT。
  今回初日の昼は伊勢うどん。ここに初日の悲劇が胚胎していようとは。

  我輩の伊勢うどんに対する評価は50点。臭いは中京圏特有の味噌醤油の樽の底の臭いというか。マレーシアのニョニャ料理(10分で出てきた)、ミャンマーバガン料理(箸をつけるという儀式は行った)とほぼ同類である。苦手である。他の店でも残している人がいたから、これはかなり癖のある臭いと味だということがわかる。我輩個人の趣味とはちがうと思う。
  しかし中京圏育ちの家人1はこの味が好きなのである。いつもはくどい料理を嫌っているくせに。何という生まれの力であろうか。我輩はもう二度と食べなくていいといっているのに、他の家人用にと土産の伊勢うどんまで買うのをみて、我輩は絶望と深淵をみた思いであった。
  このうどんで540円だったと思う。最初は安いと思ったが、時間がたつにつれて原価は40円くらいなのではないかと愚考するようになった。暴利をむさぼる神聖都市伊勢。でもだからといって怒っているのではない。面白いと思うのである。我輩は名古屋の味噌カツも味噌おでんも、食べる人がいるということそれ自体に、人間という生き物の多様性や汎用力をみるわけなのだった。・・・ほんまやで。 
  それにしても疲れたなあ。