panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

究極の中空構造


  書く気力がだんだん落ちてきた。夏期研究休暇も残り少ない。9月はあっという間だ。仕事をしないと後で慌てることになる。
  伊勢志摩旅行を勧めるJRのコマーシャルがかかっていて、みると大半は我々の順路通りのようで、御正規のコースは踏んで帰って来たのだということが何となくわかる。行く前は熊野大社まで行く予定だったが、そんなに紀勢地方は小さくない。高野山熊野三山はひとまとめにして、いつか行くことにしよう。
  でもどうやっていくのかがよくわからない。前に触れたアフリカの専門家は大阪の岸和田付近の出身なので聞けばわかるかもしれない。それに家人1の友人の実家はもとは串本の旅館経営者だ。
  写真は撮ってはいけない内宮の一番の正宮。あわてて制御されたが、中国ではないのでとったものを消せとはいわれなかった。・・・最近、全体に能力が劣化したため、禁止事項が聞こえていないことが多いし、解説を聞いていると飽きてくる。つまり態度が悪いのだが、あきらめた。100年人生ではそういう風になるわけさ。----------家人1の指摘で写真を入れ換えた。正宮の下のにした。これは許されている。ここでサミットの首脳たちは写真をとった。

  五十鈴川のここで手を洗う。水量がちょうどいいのか、実に適切なせせらぎの音が心を解放してくれるのだが、いつも常にとどまることなく永続的に心は解放されている我輩にも効果はある。ふふふ。神的なレベルに達しそうだった瞬間。

  翌早朝ツアーに参加してもう一度内宮を見学しているとき。巫女さんでいいのか、甲斐甲斐しく掃除にいそしむ。 
  式年遷宮という言葉が知られるようになったが、ある建物の横があいていて、そこに20年したら同じものを建てて、今あるものをとりこわし、石を敷きつめて20年後にもう一度建てるのを待つという仕組みである。だから我輩が20年前にみたときは反対側に建物はあったはずだ。でも数年早ければ今と同じところにあったかもしれない。というかいつ行ったかも忘れており、忘却は深い。どっちだったけなあ?でも完全に記憶がないのだから、どうしようもない。
  そして建物はきわめて精巧につくられているが、中身はない。完全に虚空である。そこに神がおわしますという構造なのだが、完全に無駄だということもできる。それを千年以上もくり返し繰返し建てては壊し、壊しては建ててきたかと思うと、その壮大な消尽に圧倒されてしまう。しかも階段をつくっても誰も上らず下らずというのであるから、何と形容すべきなのか。言葉がみつからない。アホかもしれないし、それが現在の秩序の平穏さをつくっているともいえるかもしれない。いずれにしても人知をこえそうなほど、壮大な試みなのだ。
  これは母(ただし実母。養母はいない)の日々の姿を彷彿とさせる。母は小型の中空構造なのだ。朝夕、神棚と仏壇をめぐる儀式を執り行って、倦むことを知らない。炊いた米がないと、サトウのパックしたご飯をチンして仏前に供えるのだが、昨日のご飯はいっぱいジャーに残っているのである。でもそれは使われない。失礼にあたるからである。
  カッとして100年人生の我輩は指導しようとするのである。どうせ供え物を食べるのは母なのだ。でも強烈な反論というか拒否というか人生をわかってないみたいな反撃にあって、いつも我輩は敗退する。ただし怒りは胚胎し、増すわけだが、この100年勝ったことはない。
  ということで母の原型が伊勢神宮的精神構造にあることを改めて確認して、さすがの我輩も敗北を宣言するにいった次第である。