panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

来週早々から仕事だし


  多々、小問題の発生した今回であったが、まずは帰れた。でも九龍サイドの中心街をあてもなく歩くという楽しみを参加者たちがあまり求めていないので、道教の黄大仙寺にまで足をはこんだ。しまいにオミクジを引いて(我輩は引いても引いてもだめだった。木片2個をあとから投げて同じ面を出さないとオミクジはやり直し。結局断念。暑いもんで)、占い師に占ってもらうという仕儀にいたった。手相をみると350ドルだが、これもやった若人がいた。うーん。何か将来に強い不安があるのだろうか。
  今回のテーマは中国人という異人種の振舞い・行動・その他をみたり、世界の仕組みのなかでは日本はかなり特異なその極小部分だということう知ることである。とくにはっきりわかったのは、我輩の場合は、美人も美男子もほぼいないということであった。中国人に哲学者はいない、日本人にプレイボーイはいない、などいろいろな表現がこれまでされてきたが、中国人には、というか香港にいる人々には、美人とか美人的振舞いの人間が非常に少ない。
  広東系というかタイ系というか、そういう南方系の顔つきだということはよくわかるが、だからといってそのなかにもその人種独自の美男美女というものがあるのではないかと思うのだが、あまりみることはなかった。だから美男美女は貴重品である。我々のような国ではそのありがたみがよくわからないのだが。

  混沌のなかの一大調和香港。むしろ今回は調和のなかの一大混沌という風情を感じた。結構秩序は維持されている。そのなかでさらなる資本主義的発展をめざした開発が大量に進展している感じだ。そもそもテーブルの上に食べたあとの魚の骨をすてる、というようなしぐさには遭遇しなかったのである。それが中国式だと思っていたので、意外の感にうたれた。少しはグローバル化しているのかと。

  それにしても横浜にいると、取り残され感がしてくる。香港の雑踏から帰った喜びと、そして何だか損しているような気持ちが共存している。今日も香港では、そして東南アジア諸国では、ますます増大する気温にたちむかい、日々、激しく気ぜわしい社会のなかで競争しているのだろうか。
  我輩の信条は競争拒否である。競争が近代の諸力の根源だということを認めつつ、競争の弱そうにみえる社会的構成にやはり愛着をもたざるを得ない。秋田と伊勢を比べれば、だから秋田を、伊勢と香港を比べれば(比べるまでもなく)、伊勢をとるというのが、我輩の選択である。・・・だから取り残されて結構結構。むしろ取り残していただきたいと強く思う。
  ということで来週から仕事だし、香港について書くのは今日迄である。

  ホテルはハーバー・グランド・香港サイド(九龍サイドにももう一つ海に面してある)。今日泊まればアゴダでは17705円。