panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

硬骨の人、恍惚の人をみる


  月曜日は職場に行ってもいいが行かなくてもいい日である。何度もいうように週末の疲れをいやす休養日なのである。週末に疲れてどうするという声もあるだろうが、それはそれ。
  テレビで『恍惚の人』をはじめてみる。豊田四郎監督。森繁の関係では『夫婦善哉』の監督である。
  高校時代の映画だったことに気づいた。その頃まさかいまの福祉や年金に興味のあるような高校生はいなかった。地方公務員なんかになるかならないかは別にして、そんなものに興味のある学生もいなかった。つまりそういう時代の、端的には1973年の東京の風俗(町の様子や風景)がよく描かれていて、映画としてよくできている。
  我輩は気は小さいが態度はでかい。だからテレビの森繁によく似た性格である。ゆえに昔から、「七人の孫」の時代(東京オリンピックの頃)には森繁のファンだった。なんという早熟な少年だったのだろうか。このドラマの主題歌はいまでも歌える。名曲だと思う。山本直純の作曲で、森繁的ペーソスに満ちていた。
  なぜそんなじいさんを主演に据えたドラマが好きだったのだろうか。晩年というものに興味があったからである。晩年から人生を俯瞰しなおす劇的な構図が好きだったのだある。死から生をながめるといってもいいが、すでに小学校低学年にして晩年様式家だったというしかない。さすがというかアホちゃいまんの?
  ところがだんだん晩年に近づく最近、自分が森繁的軽みよりは、徳光的凡庸に近づいていることを悟り始めた。まっこと不愉快である。どの写真をみても我輩の位置に徳光がいる。こんなはずではなかったのだがなあ。
  即席ラーメンから卵をのぞき、チャーハンから米をのぞきながら、節制につとめるが、いかんせん珈琲に入れる砂糖が多すぎるもんで。いまも左の歯が痛い。
  気は小さいが大体のことについてはさからって生きてきた硬骨漢である我輩。砂糖の取りすぎで道を誤ることになるとは思わなかった。・・・名刺替わりに一枚掲載。