panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

100歳をすぎてみるバベットの晩餐会


  また、先週夜、バベットの晩餐会をやったので録っておいた。それを午後、みる。マッドマックス・サンダードームの次にみる。マッドは1985年。バベットは1987年の映画。思えば30年である。間をとって。
  サンダードームのほうはようやくこの種の映画の魅力がわかってきた(今年のハリウッドでもマッドマックスは賞をいくつももらった)。でも登場人物が我輩にはいまひとつである。
  バベットはある種の老人映画で、デンマークユトランド半島の寒村の話で、ある宗派をおこした牧師の二人の娘とフランスからやってきた料理人バベットの話である。
  いま古典『ミレニアム』を映画でみ、テレビ映画でみ、はたまた夜は寝床で小説のほうを読んでいるので、北欧は我輩の冬の日本の友達なのだが、うーん、この世の果て以上に寂しく厳しく悲しい。北欧は。
  いってみれば日本の北海道だが、ごっこ汁ならうまいが、映画ではかれいを干して切って水でもどして茹でるような料理ばかりのデンマークとは、同じ辺境とはいえ、とうてい同じとはいえないだろう。
  なんといっても人生の意味はどこにあるかという映画なはずで、パリ社交界の昔の花形だのデンマークで将軍に成り上がった昔の将校とかが随時登場してくる。これがバブル真っ盛りの日本に輸入されたということは笑い話にもならないが、いま100歳をこえてうちひしがれている我輩がみると、いかんともしがたく寒風が胸を通りすぎて行く感じである。
  バベットをみてバブルの日本人はどう考えたのだろうか。今となっては夢のように思い出せない。でもいまや、この映画の主題である野心や名声が幸せを生まないということはほぼ事実のように思えるし、当時だってそうだったろうが、時代がそういうことからの逸脱を許さないということもあるわけで、当然に引き裂かれた心の持ち主たちはサリンだの何だのに引きつけられて行ったともいえるだろう。現在の方がバベットの意味が普通に伝わるだろう。
  しかし、いまならば、蛭子ヨシカズ先生を例にして人生の何たるかを語る方が、ずっとスノッブでなくてよいのではあるまいか。