panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

雨の水曜日の休息


  うまい具合に雨である。でも洗濯はしないといけないと思って朝やったが。
  BSでパゾリーニの作品がデカメロンと奇跡の丘の二つやったので録ったが、廊下に天井近くに積み上げた本が落ちていて、それがパゾリーニの伝記だった。ほほう。偶然の一致なのか。今日は午後は、午前中に校正関係の仕事を最終的に終えて、この二作をみることにしよう。
  調べるとパゾリーニは我輩の大学2年のときに亡くなっている。そうだったのか。我輩ははっきり、少年からの暴行で死んだことは当時覚えており、ゲイであった背景をそのとき知ったのだが、ウィキによると事はもっと複雑で、ネオファシスト関係者による殺害の可能性もあるという。いずれにしても名画座でさんざんそのおどろおどろしい映画をみて、面白く思った(大学に入るとこういう映画も見られるのかと)。でもやはり違和感もあり、その後いまの職場にはパゾリーニの専門家がいたのだが、一度もそのことで聞くようなこともなかった。そもそもその専門家のほうがもっとおどろおどろしかったのであるが。ま、有名人だから、いいか。この程度の指摘は。
  ひとかどの人物として世に知られている人というのはやはり個性が強い。しかも人間関係ではかなりの技術をもっているという風に感じる。それは一長一短のある技術である。ちなみに我輩は傲慢驕慢ではあるが、厳しく散漫でもあり、ひとかどになるための社交性を欠いている。そもそもひとかどになるような能力も個性もないので、社交以前の問題ではあるが。だから、ひとかど関係にはできれば近寄りたくないというのが本音で、しかもその中味がパゾリーニとパゾ以上である。くわばら、じゃね?
  でもいまから見直すとまた多くの発見があるだろう。昨夜、20世紀最大の女流ピアニストがいつも同じ曲を弾いて退屈しないかとと問われて、いつも発見があるので退屈しないと答えていた。退屈しないのか、パゾリーニは。というかそもそも大学生我輩はパゾ君に何をみていたのか。いまとなっては遠い彼方の記憶である。
  ということで昨夜から骨格のしっかりした演奏でずっとマーラーを聴いている。豊穣な音の饗宴よりは、明快で構築的な演奏が好きになった。ということは書いたが、なぜなのか。