panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

神様の家からみた夕暮れ


  神様は第一の人生を終えて、いま優雅なパートタイムの整体師である。我輩の常時痛みのある50肩も、もんでもらって少しよくなった。まったく肩こりはないと思っていたが、神の御センタクによれば、こってるということだった。不覚であった。まさか肩こりだったのか。うーん。右半身が全体にコリコリのようである。右手をあげると声が出るほど、筋肉が固まっていたようである。
  これもまた、砂塵のごとき大都会東京で週に二日も働いていたせいなのか。秋からは週1となるので、なんとか回復したいものである。・・・贅沢?まさか我輩は二日が一日の生活なのであるから、週4日働くと見なしていただきたい。見なすことは自由だ。総員、各自のデカルト的自由を行使していただきたい。


  角館でみた昔の写真や籠のたぐい。言葉もそうだし、風俗も我々の親の世代の農村風景そのままである。道南に農家の次男三男が流れていって、その支流文化が成立したものと思われる。津軽や南部の文化も複合して、道南は昔から、明治以降開発された北海道の深部とは違った文化帯なのだということがわかる。事実、この神様の祖先は200年以上もまえに北海道に渡来しているのである。
  しかしなあ、我輩の親戚にも神様がいるし、女子同級生にも神様がいる。この秋田人によって神様扱いされている人物も同級生だが、日本って、神様の意味をわかってるんだろうか。・・・そもそも母(ただし実母)のところに頻繁にやってくる遠い親戚の神様。一度も会ったことはないのだが、実在するのだろうか。実母の幻想なのだろうか。・・・まことに辺境は一体となって、アジア的幻想に生きているように思えてくる。クニオも喜ぶだろう。ただし柳田国男
  タチアナ・ニコラーエワのフランス組曲を聴きながら。昔からあったのに、気づかなかった。これはかなりの水準である。

  乳頭温泉郷で我輩が入湯したのは鶴の湯ではなく、妙乃湯である。これね。幻想的な4種の入浴場があり、うち二つは露天になっていた。泊まるとしたら鶴の湯のひなびすぎた宿より、こちらを勧めたい。ただし妙乃湯は鶴の湯より高い。