panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

病院に行ってみる


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  午前中、行きつけの病院で50肩をレントゲンでチェック。型通り湿布薬と痛み止めをもらって帰る。途中、恒例のジョナサンで昼食をとって、古本買って帰り、自室の床のセスキ水による清掃を行う。
  うーん。やるだけやったら、本来の仕事である最後の評価を再チェックする気力がない。といってもわからんだろけど、大量の評価の仕事を見直すわけである。最終的に。・・・明日があるか。といってもまた、まだ3時。もう少したったらやるか。
  出口裕弘氏が亡くなった。加藤武同様、86歳。つまりわが実母と同じ年だ。ただし養母はいない。ということはオードリー・ヘップバーンと同じ年である。
  出口先生はたまに我輩の職場に出向しており、エレベーターで一緒になったこともあった。澁澤龍彦の友人の仏文学者なのだ。学生時代にはその関係(ボードレール)で本を何冊か読んだが、後年は、おフランス学者の一人ということで敬遠していたのである。顔色が悪そうで、元気がなかったが、長命だったわけで、慶賀としたい。
  結局、我々が西洋を学ぶのは、おフランス学者やおイギリス学者になるためではない。西洋的侵略を防ぎ、その世界覇権に、まさに彼らの制度や思想などを学んで、抵抗することにあったし、ある。バカみたいにいい気になり、その辺の物知らずの庶民を遠ざけて、悦に入ることではない。でもおフランス学者はかなりな部分が、その意味では、バカだったのではなかろうか。
  堕ちた偶像とはいえ、出口先生に、我輩が職を得て勤めた以降に学ばなかった、といったら嘘になる。あまりおフランスとは関係のない、日本の明治維新前後について、我輩がよくいう、内乱が継続したら、西はイギリス、東はフランスのバックアップを受けて、日本は分裂して近代を迎えることになったかもしれない、あるいは近代を迎えられず植民地となったろう、という説は出口先生の本から示唆を受けたものなのである。その後、この議論は一般化しているように思うが、我輩についていえば、出口経由なのだ。
  なんていう本だったかなあ。アマゾンであとで調べよう。それにしても、出口先生(昭和4年生)の青春時代は仏文学の黄金期だった。それを遅れて、つまり子の世代なわけだが、我輩たちの世代にとっては、彼らの本は青春の黄金時代の本だった。やはり冥福を祈りたい。