panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

人生はつづく


  職場にて。午後三時過ぎ。暑いが冷風がこないので気道をつくる。ようやく上半身裸程度ですむようになった。昔もこうしていたわけだが、冬用に対策している自室では元々空気が還流しないようにしてあるのだ。夏用仕様に三分ほど時間を浪費する。
  いろいろある人生である。子供がシュウカツに成功したというメールがくる一方で、訃報も届く。人生は多様だが、しかしより深刻なのは、それが同時的であることである。これが誰しもの頭を抱えさせることになる。我輩も肉親が亡くなっているときに世界が従前と変わらず進行しているという事実に直面して、人生においてあきらめることを知った。
  関廣野の処女作は専門家はどういっているのであろうか。ホッブズ的自然状態を回避すべく、人間の本能的な闘争心を正面から解放する競技会(オリンピック)を逆に開催し、闘争イコール競技を儀礼化していって人々の間に連帯感を作り上げたのがギリシア人の天才性だったという議論である。ポリスはだから競技社会だったということなり、あるいは競技国家だったということなのだ。
  評論家関先生の最高傑作との評もある。ギリシア人ばかりでなく、そういう議論の秘密を解けた関先生も天才ではないか。
  人生の複雑さとやるせなさを思うとき、昭和歌謡は慰めの天才であるということもできる。今日の1時からのFMの歌謡曲のラインナップから。
  「修学旅行」舟木一夫、「CHE CHE CHE(涙にさようなら)」橋幸夫、「星のフラメンコ」西郷輝彦、「バイ・バイ・バーディー」中尾ミエ、「恋の売り込み」伊東ゆかり、「何も云わないで」園まり、「恋のフーガザ・ピーナッツ、「砂に消えた涙」弘田三枝子、「見上げてごらん夜の星を坂本九、「夕陽の丘」石原裕次郎浅丘ルリ子、「若草の丘」本間千代子、「白馬のルンナ」内藤洋子、「明日は咲こう花咲こう」三田明、吉永小百合、「お嫁においで」加山雄三、「いとしのマックス」荒木一郎、「これが青春だ」布施明、「モナリザの微笑」ザ・タイガース、「神様お願い!」ザ・テンプターズ、「愛するアニタザ・ワイルド・ワンズ、「あの時君は若かった」ザ・スパイダース。