panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

永六輔死去


  ザ・ピーナッツの残りの一人が亡くなった。と思っていたら午後に永六輔先生逝去の一報があった。とうとう逝ってしまったか。永六輔
  黒柳徹子永六輔とピーナッツは小学校時代のテレビスターだった。徹子は健在だが、六輔と徹子の言葉遣いに恐れをなして、我輩は半世紀も前に、大学は東京では無理だと思ったのである。当時の国営放送のアナウンサーを含めて彼らは標準語をしゃべってはいなかった。彼らの言語は東京弁だった。ございます言葉にまったく恐れ入った小学生我輩は、同時に、周囲の人々の言葉遣いに敏感な少年になったのだが、それはどっちかといえば不幸なことだった。
  心情と表現形態にギャップがあり、そのことへの自意識はその後の我輩の商売にとっては役にたったかもしれないが、素直に周囲の現実を受け入れがたい文学的な近代の苦悩を、まったく文学していないにもかかわらず、味わうことになるからである。あー、損したなあ。
  しかし永先生の逝去と同時に知った大谷直子のリンパ癌の壮絶な体験記。うーん。人生楽あれば苦あり。なのか。人生ぷらまいゼロ。なのか。美人薄命。なのか。いかんともしがたい人生の偶然にかなり衝撃を受ける。
  ちなみに永六輔先生はもしまだ今年誕生日が来ていなければ、アラン・ドロンそっくりの先日亡くなったオジと同じ年の生まれだったということになる。気がつかなかった。気づきのあまりの遅延にがっくりくる。
  なお母(ただし実母。継母はいない)はオードリー・ヘップバーンと同じ年である。マリリン・モンローも同じかもしれない。ふふふ。人生は不条理である。