panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

グローバリズムの20世紀はもう終わった

  「こうして二十一世紀の世界では国際主義は過去のものとなりました。人間はエスニックな存在であるかぎり、人間が作れる共同体の大きさは民族国家が限度、人びとが言語・文化・歴史の記憶を共有するネーション・ステイトが限度なのです。民族国家を超えた全人類の社会など存在しないのです」(関、前掲書、90−91頁)。
  いま上野でやっているバベルの塔はまさにこの真実を物語るものなのである。
  トランプやブレグジット国民国家というエスニックな単位の反乱であるということは、ポキも最近しつこく云っていることなのだ。早晩、フランスもそういう方向をとるだろう。

  関氏の最初の作品。これがすばらしいわけだが、オリンピックを通して混沌としたギリシア社会は平和を回復したという議論がその一部でなされる。オリンピック共同体なのだ。ギリシア・ポリスの安定は。しかもオリンピック種目には漫才の言い合いみたいなものも最初はあったというのである。なつかしい傑作だが、難しかったなあ。
  聴いているのはヴェラチーニ。久しぶりに器楽合奏。とてもいい。バイオリンソナタ