panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

雨でかつ寒い。何か書くことはないかと思うが、、、、


  首都圏は寒いといえば寒いが、本物の石油ストーブをガンガンつけて熱くて顔が真っ赤になる、という冬の楽しみはもうとんとないので、何か物足りない。
  書くことはないが、イスラム国への日本政府の対応が優等生で甚だしくがっくりくる。後手後手にまわるのがこれまでの日本外交だが、先手先手に出て今回は窮地をつくりだしている感があって、申し訳ないが、哄笑すら覚える。なぜ23日午後2時50分が期限なのか。通勤バスすら定時にこない世界の約束事に、2時50分と区切って何の得があるのか。というか2時とか3時とかでも厳格すぎるのに、2時50分って誰がどう決めたのか。イスラム国の連中がもってる時計はセイコーなのか。そんなはずはない。
  そもそもアラーの神は人間が未来を約束することに対して、それは人間の傲慢だとしているはずではないか。未来は神の御意志次第なのだ。2時50分とはアラーも近代化したものである。しかもそうした近代化は日本的近代化であって、世界中が分単位でものごとを考えているわけではない。せめて52分とか48分とかいわなかったことだけが救いといえば救いだが。
  個人的には後藤氏は見どころがあり、助けたいと思う。でも200億以上を求めるということはただの警告であって、政治的交渉のチャンスははなからないということである。もう日本政府が余計な口をはさむなということではないか。そもそもなぜ首相がこの時期にのこのこアラブ世界に出向く必要があったのか不思議だ。人の税金を潤沢に恵んでさぞかし気持ちはいいのだろうが。・・・今日は珍しく政治関係でした。書くことないもんで。

  口直しに。バルトリの。ユーチューブでみると、バルトリには映像は逆効果だと思えるのだが。山村紅葉が積極化したようで、、、、。この曲はしかし様式的には典型的な前古典派と思える。ただこの作曲家はもう少しでハイドンの誕生年に近づくから、時代的には古典派に限りなく近い。・・・・・・典雅にして憂愁。というか歌詞をみると画面のように死んでいく人の最後の場面のようである。