panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

中国文明、もう一つのたちの悪いヨーロッパ文明

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  中国を見る目が厳しくなってきたが、嬉しい。しかし厳しく見る側の西洋文明自体にも同じくらいの問題があるわけで、トランプもWHOも習近平も同じ穴のムジナという感じからのがれらない。

  ユーラシア大陸には、世界の一体化(つまりヨーロッパの世界制覇)の以前には、中国とインドと中東という3つの大きな核があった。文明圏と呼んでよいがシステムでもよい。このうち中東システムの周辺にヨーロッパとアフリカがあり、両者の中東的核心地帯への関係は同じものだった。主に奴隷の送り出し地域として後進的な場所だったのがヨーロッパとアフリカである(アフリカの黒人が反乱を起して以降、ヨーロッパからの奴隷が急増した)。

  中東=イスラム文化はいまでいう西洋的普遍を体現していた。西洋文明がいま自分たちの普遍的な価値だと主張しているものはかつてはイスラムのものだった。イスラムに近づくことがヨーロッパの文明化だったのである。イスラムに似ていくことが、ヨーロッパがいまヨーロッパとして打ち出している、その意味では中国がいま打ち出そうとしている価値観の役割と機能的には同等だったといえよう(勿論、内容的にはヨーロッパ文明と中国文明の理想とするところは違うのだが)。要するに、イスラム化がヨーロッパの近代化であり文明の普遍化(だと西洋人の主張するもの)だったと考えられる。

  しかしアメリカの発見によって、北大西洋文明圏というべきシステムが16世紀に出現して以降、徐々に立場は逆転し、現在にいたる。そして西洋とその影響下から逃れられない日本の学者たちが相変わらず、西洋の普遍性万歳と唱えていることが、中国を追い込むともいえるし、中国もヨーロッパも同じ覇権主義で邁進しているので同じ穴から出ることができないともいえる。

  いずれにしても西洋的価値観が絶対でも独自でも普遍的でもないということを西洋自身が理解することが肝要だし、西洋的価値観に無理やり反対していく中国路線もまた挫折しなくてはならない。ということを思う朝。