panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

マクリーシュお前もか


  先週末からしばらく書いていないことに気づいた。我輩の狭生活と広生活にやや多忙があったもんで。もんで。
  下川先生の話であるが、彼は昔はもっと私生活主義、暑いタイの徒歩15分圏内のはなしが多かったと思うが、最近は、アセアンセンターで買ったアジアの日本人町歩きの本なんかのように、歴史というか日本の東南アジアへの戦争や植民地的関与の背景などに触れる部分がかなりを占めるようになった。年齢がいったということもあろう。もううろつく年頃ではない。でもその後あとを追って東南アジアに突進した我輩は、いまでも、うろつく派である。かなり苦しいし、できれば30分ごとに休んで甘い珈琲を飲みながらにしたいが、うろつくだけで満足するような旅行のあり方を自分には望みたい。歴史は当然にある程度知っているし、歴史を確認したいわけではないのだから。路上の幸福を目にしたいだけで、室内に入り込んでその経済的状況だの社会的関係だのについて触れたいわけではないからである。
  第一、現地の人と触れ合いたい気持ちは皆無である。平身低頭という言葉は東南アジアにはないから、彼らはそうはしない。土下座もしない。土下座という言葉=文化がないからである。彼らにそうされる心配はないが、だからといってヤフーを読んでいると出てくる中韓の連中のように、何か上から目線で日本を評価してやるということもないので、安心だか、でも触れ合いたくは、はっきりいってない。
  やはり同じだという感じはしないからである。これ以上踏み込むときっと嫌いになるような感じがするからであるが、もっと自然の方に興味があるからでもある。ということで、来月マレーシアに行くかどうか迷っている。予算はとってあるのだが、どうでもいいという感じがますますしてくるのは、うろくつ派の年齢的限界点に達しているからか。
  マクリーシュ。彼のマタイがバッハマスターワークスのなかに入っていて、とうとう聴いた。1パート1人という例の音楽史的にコレクトな演奏というやつで、これが恥ずかしいほど貧弱だ。面白くはある。でもこれならバッハが生前評価されなかったということなら仕方ないと思える。BWV24のところでも説明したが、バッハが生き返ったら、どっちを選ぶと思ってるんじゃい?リヒターに決まってんじゃね?というエグザイル的気持ちになる。高い値段で買わないでよかった。昔からHMVのお気に入りリストには入れていたのだから。
  リヒテル50枚のほうではモツ君のピアノソナタが抜群に清冽である。リヒテルは真価がわかりにくい代表的な大ピアニストだが、何度もききかえしていると、抜群の繊細さとテクニック(結構ゆっくり弾いている)が、わかってくる。同時にモツ君の突出ぶりもやはり感得されるから、見事な演奏だということなんだろう。