panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

秋、深まる

  今日は出勤はしないが、いろいろ仕事がある。個人的な調べ物がある。これが一番大切なのだが、個人的なことなので書かない。最初から個人的な調べ物と云ってるわけだし。というか何が何でも大体は個人的な事柄ではある。どうせならすべてに個人的なといれてもいい。標題も、個人的な秋、個人的に深まるとか。そう考えると、だんだん笑えてくる。読んでる人が笑えるかは別である。この笑いも個人的な笑いだし。でも読んでる人も個人的に読んでるわけで、個人的なクリックの結果なのでもあるし、、、、。もうやめる。
  この清気が東南おおアジアにも、朝方にはある。旅行者は夜(個人的に)遅いので朝(個人的に)遅く、そのため朝のアジア的すがすがしさを味わう機会が(個人的に)少ない(もういいか)。だから気づかないが、人間には、この秋の冷気と乾燥が必要である。冬は来なくていいが、来ないと細菌類が死なない。死なないと、アジアになってしまう。  
  ともあれ、東南おおアジアには、季節がある。訪れる人の「季節」があると思う。若く行っても深く味わえる人もいれば、年をとって深まる咸興というのもあるだろう。その逆もあるだろうが、でもいつか一度は訪れる機会をもつのが、この無菌社会日本の住人には、必要なのではないか。
  若いころに一度は訪れておくことが、後年、何か困ったときのお助け小箱の重要なアイテムとなるだろう。これは確実である。そして困ったことのない人生は(個人的に)ないから、小さな経験であれ、東南おおアジアを一度は知ったということの意味は、小さくない。おほん。じゃね?・・・・・・だね。