panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

一週間ぶりの職場で万年筆ブログをみてみる


  点検に出していた論文が戻ってきた。生原稿を読むのはやってみると大変辛いのだが、感謝感謝。結局、直しは少ないが、今日はそれを反映して論文を完成する気がおきない。明日やることにしよう。だから明日も職場に来る予定ということになった。金曜日だし、たまには出勤するか。 
  写真は我輩の書いたものではない。誤解しないように。「夜の果てへの旅」( http://coacervate.jugem.jp/?page=0)という万年筆というか文房具ブログから。この世にはこういう人が結構いるわけである。
  我輩は腱鞘炎という必然性、不可抗力にかられて、いま懸命に親指に負担のかからない筆記具を眺めているわけであるが(眺めるだけでなく探している。いうまでもなく)、大したことも書きそうには思えないのに、山のように高価な筆記具を収集している人間をみると(といっても人間そのものをみられているわけではないが。ただし我輩の人生では一人だけそういう人を毎日でも実見することができるのだが)、人生の実用性愛好家としては、気分がめげる。
  とはいえ、狂乱の鉄道愛好家や捨て鉢の万年筆収集家、はたまた怒濤の自動車愛好家、胸のつかえがいや増すヨット愛玩家などがいるおかげで、日本という世界的に孤立的に平等な平民文化にも「中国化」というか格差社会的豪華趣味が導入されることになるので、総理大臣か天皇にもなったような気分で、にこやかに「よし」と小さくつぶやいてみるのでもあった。ふふふ。大人物なんじゃね、我輩?
  いやいや。究極の利己主義者は他人の幸福を願う最大利他主義者なのである、という逆説。ただし、幸福な人間は他人のことを顧慮しないし危害を加えないということが前提だが。でもこの前提はおおむね正しかろう、、、か。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という中国の諺のもとになった話では、助けた相手に結局は殺されることになるのだが。清盛と頼朝しかり。うーん、やはりカンボジアポルポトみたいにこの世の金持ちはすべからく殺すべしなのか。
  しかしただたくさんCDをもっているという理由で殺されたくもない。CDはまことに実用的なものだからである。我輩の血管にはクラシックが流れているもんで。常時輸血しないと。今日はこれ。中野振一郎。・・・名前に難があるとおもう。

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  ちなみに写真のインクはブルーブラック系だと思うが、万年筆のよさは濃淡である。とすればやはりブルーの明るさがいいかと思う。でもパイロットの色雫シリーズは24色もあって、青一つとっても何種類もある。うーん、うれしいような、ポルポトに殺されかねないような、、、複雑な気分である。