panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

怒濤の矢野事件


  東京は、また雪である。アナ雪ではない。マタ雪でもない。二度目の大雪という意味である。そもそもマタ雪ってなんだ。
  しかし今日は怒濤の一週間のなかの休日である。昨日はといえば朝から怒濤の仕事であった。朝と夕方と二つの時間帯で缶詰になるのである。缶詰とはいえ、殺菌消毒はされていないから、仕事ののろいのが多い。・・・我輩は仕事ののろいものには厳しい。鬼軍曹と云われているだろう。鬼軍曹は何となく尊敬のかすかな気配があるが、きっとそれすらない完全無欠の鬼だろう。お兄さんではない。鬼さんである。でも鬼さんのさんはきっと省略されているだろう。
  矢野事件と日本でいえば、それは京大矢野事件である。矢野暢。日本には別の矢野事件があるかもしれないが、それはいまは問題ではない。問題の事件は日本最初の大学セクハラ事件としてウィキにも書かれている。
  その主人公某矢野先生は東南アジア専門家だったが、クラシック愛好家でもあった。我輩は東南アジア愛好家にしてクラシック愛好家である。だから二人は違う。違うでしょ?微妙に違うと思う。
  彼が20世紀音楽について書いた本を入手した。本については知ってはいたが、なんといっても矢野先生の著書から学べるとは何十年も思ってはいなかったのである。
  しかしあまりに他の本が独創的なので、ひとつアマゾンで取り寄せようかと思いたったのである。そして見事、この人はたんなる音楽愛好家とは違う、まことに知識人的なアプローチを西洋音楽に対してしていることに気づいた。こういう本は、他の社会科学者は書いたことがないのではないか。一口にいうと、彼のアプローチは我輩の感覚とよく似ている。
  ともあれこの本は、極東の知識人が20世紀を理解するために違和感をどうしても捨て去りがたいクラシック音楽という切り口から取り組んだ本なのである。たんにバッハがどうだ、モツ君がどうだというディレッタント丸出しの本ではない。おおおおおおお、驚いた。
  氏は1936年生まれである。とすればこれを書いた当時はまだせいぜい48,9歳。我輩がまだ勤める前の日本の知識界のなかでは突出した存在だったはずである。そもそもクラシックすら聴かないか聴けないような人物ばかりがその業界の大多数なのであれば。
  我輩の周辺には〇野事件というか問題というものがずっとあり、矢野先生のような方はとにかく敬遠したかった。事実、ウィキによると、その権威主義的性格ゆえに事件が増幅したようだし、学内でも助ける気がなかったように読める。同じことは後年、京大の社会学でも起こっており(大澤君ではない)、そのときも本人の権威主義的人格が援助や擁護を生まなかった。権威主義というのは実に不愉快だし、そういうのが一人でもまわりにいると、空気が汚染されてしまう。多数はそのことに抵抗しないし、抵抗しても権威主義的に反抗されるだけで、権威主義は一層強化される結果となる。
  ともあれ大学辞職後の『近代の超克』(カッパブックス)もようやく入手したし、いま、怒濤の一週間は怒濤の矢野本と化しつつあるのであった。