panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

いつもの宿でみる富士山


  ずっとここにいたわけではないが、3月の富士山は雪に覆われているわけである。
  慌ただしい日常を離れてもやはり慌ただしいのである。なぜかというと平日にも人は観光に来ていたからである。観光は我々だけかと思うと、そうは問屋がおろさず、日本の産業は衰退しているのかと自己本位なことを考えながら、また、日本人民これ働きなさいとか内心思いながら、まずは春の桜を今日は眺めていたのであった。
  30年以上たつ文鎮は花の色が褪せてきたが、やや透明度が鈍くなった以外に樹脂に変化はなく、昔、丸善で買うときは結構気が重かった(つまり財布は軽かった)ということをも思いだす。・・・とブログは久しぶりなのに、大したことない内容で申し訳ないです。
  、、、ちなみに、文鎮の台にしている文庫のタイトルに深い意味はない。そもそも自分の文庫ではない。家人のである。・・・家人。何か心境の変化なのかとも、いま、疑心暗鬼となるわけでもあるが。なにしろ家人の一番の友達は、、、我輩ではないか?