panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ユリア・ハマリの変貌-----白人恐るべし。


  バッハの受難曲(DVD)をリヒターの指揮で見ると出てくるアルトがハマリだ。ユダヤ系だと思うが(今は自信がない)、ハンガリー人であるのをバッハ・カンタータ・ウェブサイト(http://www.bach-cantatas.com/index.htm)でさっき確認した。まさかの1942年生まれ。まだ若い。ジュツットガルト高等音楽院教授というのが(現在も?)肩書である。しかし何といっても驚いたのは最近の変貌ぶりだ。
  ハマリはかなり前にも触れたが、我輩の好きな歌手であった。中学時代から。髪の毛がデパートでみるマネキンのようであった。全体はバービー人形。で圧倒的な悲劇的な歌唱。
  なぜこれまで調べてみなかったのか不思議だが、むしろいろんなことのうち調べるのが例外なのが人生だから、ま、仕方あるまい。しかしその変貌ぶりを知って、・・・外出する気力ががたっと落ちた。雨模様だし、踏んだり蹴ったりですなあ。7月以来の久しぶりの電車通勤であった。

  リヒターだってこうですもんね。若いころ。

  我輩が仙台でオルガンを弾いたのをみたころ。死ぬ3年くらい前だった(写真はいつか不明だが晩年であるのは確か)。もう相当衰弱していた。音も間違え通しだった。リヒターは圧倒的緊張の人である。もう現在の大方のバッハ演奏にあの緊張感はない。・・・緊張感は何十年も続かない、ということをそのとき少しだけ悟った。特攻のように華と散る以外に人生は劇化したまま終わることはできない。人生は散文的なのである。だから青年我輩は、散文的な人生のあり方にふさわしい言説のあり方を維持しなければならない、と考えたわけである。ボードレール愛好もその結果醒めていったのであった。ふふふ。長い人生だったなあ、我輩も。おそらく今の我輩の年にリヒターは亡くなった。