panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

知的渇望世代の顛末は、、、


ラオスの検死官の小説第二弾。フィリピン持っていくはずが、思わず第一作は読んでしまったというかいま読んでるわけ。だからこれを持っていく)
  帰省中、北海道新聞(道新という)のコラムに、我輩と同世代と思われる編集委員か何たらかがわが世代の若いころの特徴は何かというアンケートをしたら、「知的渇望」というのが出てきたと書いていた。うーん、確かにそうであったのでは?どんなに不真面目そうな学生も当時は、中村真一郎は全部読んだとかゼミの自己紹介の席で云ってたもんね。スチール製の本棚に各自思い思いに本を並べることに熱中していたわけだ。
  でいまの学生は、、、というはなしではない。その知的渇望の結果がどうなったかである。いまの世の中の指導的世代となったわが世代自身のことである。つまり、知的渇望は何十年か後、知的結果をもたらしたのか。この政治や経済やマスコミや教育やその他の衰弱は知的渇望とどういう関係にあるのか。世代としての漠然とした知的渇望はあっても、努力にふさわしい実を結ばなかったということか。それとも知的渇望なんて人生の重大事のなかでは大したことではなかったということなのか。・・・何となくそのコラム以来、気になっているのであった。
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  いま見てみると、第一作『老検死官シリ先生がゆく (ヴィレッジブックス) 』は中古しかなく、1750円となっておりますね。やはりすぐ注文してよかった。いくらだったか忘れたが、300円くらいだったんじゃないだろか。・・・高野秀行先生の圧倒的な鑑識眼に信頼を寄せる人々はかなりいるということであるね。結構結構決行現行拳固頑固観光看護。この本をお尻のポケットに入れ、電車でぐちゃぐゃに読んだり、コンビニの長い列の最中に320円の割子そばの上で読むことは、もうやめよう。