panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

小学生の頃から図書館で児童本を借りて読み、テレビをみるだけで教養の基礎はつちかわれる

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 培われると書くと読めないかと思い、つちかわれるとした。それくらい気を遣っているのである。あ、つかっていると読むが。

 うーん、もう対話も話も成立しない。今日も年寄り連中とそんな話をしてきた。深刻な問題なのである。

 テレビ番組も相も変わらず日本のは、人情ものと一括してよいほど低能だが、たまに面白いものもないわけではない。手放しでそうは言えないのが玉に瑕だが。きずと読む。たまの方は読めるものと期待する。期待するが確信はない。


タモリ(1978)

 笑うことは共同体を維持するヒトの原点の一つなのだが、言葉も知識もなければ、どうやって笑うのか。そもそも人を笑わかすという意欲を言葉も知識もない人間にもてるのだろうか。


追悼デストロイヤー デビュー直後のタモリ。デタラメ中国語講座 昭和51年(1976) チェルシア・チャン陳秋霞