panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

イタリア人は人間の見本である


  金曜日の朝。台風はどこへ行った?晴天である。急いては事をしそんじる。
  寝際の読書が結構長くなって、連日2時くらいまで内田洋子を読む。こここここ、これではいかん。翌日は家人たちのために6時には目を覚ましていることになっているのである。というか目を覚ましていればいいだけであるが。
  辻邦生だの加賀乙彦だの、ヨーロッパを舞台にして主人公もあちらの名前の小説を年とってから再読しようとしても、ふふふふ、全然無理なのである。何度か試みたが。とくに加賀君のにはもう笑ってしまうというか。開高のベトナムものは生き残るかもしれないが、加賀のが生き残るとは思えない。
  何十年か前、学識を誇った当代の知識人たち(辻は学習院の先生だったし、加賀は東大出の医者)はいずれも男性であった。研究に行って文化的衝撃を受け(ることは最初からわかっているから、それを期待してというべきか)、その個人的体験を文学的形象にして、日本人全体にとっての文化的経験となすべく、努力した跡が、いまとなっては、痛々しい。当時もそうだったかもしれない。彼らの表面的な衝撃はいまや笑劇になったかのようである。
  内田洋子のレベルはそうしたものとは格段の違いがある。大人と子供くらい違う。エセーなのか小説仕立ての体験談なのか判然としないが、格調高い文学作品である。と同時に、どうしてこれほど異国(イタリア)の社会や人の奥底に入り込み、かつそれを深いレベルで経験し、のみならずとうに消えてしまったような痛切な文学的文体によって再現(創造)できるのか。
  まったく日本のヨーロッパ理解やその表現は、かつての男性知識人たちの思いもよらないような高みに達したというべきなのだろう。イタリア・ザイジュウ30年、内田洋子。
  ジーノの家という本を自分で買ってから、居間の一隅にも文庫本があることがわかった。うーん。他にもある。黙ってこれほど内田洋子を集め、さなきだに?それを秘密にしていたとは、家人といえども、やはり、たたたたたたたた、他人である。ちちちちちちち、ち●しょー。
  標題はジーノの家の帯びにある言葉。そうかもしれない。イタリアに行く人は内田を読むべきだ。
  職場に行く前。ギエルミ兄弟のバッハのヴィオラダガンバソナタを聴きながら。同時代の他の作曲家はバッハの前では、大人と子供である。・・・内田と加賀、と云っておこう。