panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

実はこっちを読んでいるのだが、、、


  昨今は職場への行き帰りは、ヘンデルとヴィヴァルディのオペラを聴いているのであるが、今日は自宅でもヴィヴァ君のエジプトのアルミーダを。リナルド・アレサンドリーニ指揮のコンチェルト・イタリアーノで。うーん。実はこういう固有名詞を書くのが時間がかかっていやだ。でも情報を欲しいという人もいるかと思って書くのだが、あー、面倒面倒。・・・ま、そういうことで。
  3枚組の一枚目の20曲目くらいにやってようやく聴ける旋律が出てくる。とっととやめようと思ったが、いったん聴きだしたら通して聴くという原則を曲げると、収拾がつかなくなるもんで。一応よかった。・・・いま車中で聴いてるヘンデルなんか3枚組の二枚目の中盤からようやくよくなってくる。・・・あ、個人的感想ね。

  実は蛭子さんのはこっちをキンドルで400円で手っとり早く注文して、というか即座にやってくるわけで、読んでいる。なかなかどころか、やはりただ者ではないことがよくわかる。というか云ってることが、ほとんど我輩がある理論的検討の末たどりついたことと変わらない。もう一冊は昨日注文で今日届いた評論家のものだが、朝日新聞を筆頭とする戦後左翼の挫折をざっと鳥瞰したもので、ほぼ蛭子的生の技巧と対極的な、さまざまな指導的人物や集団のあり方が描写されている。
  つまり蛭子先生の「生きざま」なるものはまさに集団主義的なエリート、知識人、日本的戦後成功者のちょうどネガになっている。池田先生はそのことを批判的に論及するが、蛭子先生は笑いながらたんたんと自分語りで語るだけだ。
  合わせて読むと、なぜ我輩が蛭子先生に思いがけず引かれるかの理由もおのずとわかるはず。蛭子本は自分では書いたようには思えないが(口述筆記?)−−−池田先生のはすぐ読了してしまった−−−、蛭子先生の本を一日でおしまいにするのはあまりに惜しいので、いまゆっくり舐めるように熟読玩味中である。、、、ひとりぼっちでね。笑うなよ。もほほ。