panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

本は読む前に買うものである


  本はものである。たくさん本をもっていれば借りて読むのもやぶさかではないが、少ない場合は買ってものとして蓄えるべきである。ものは財産である。いくら108円でその辺で古本が買えるからといって、ものとしての本の財産性を無視するのはよくない。本を所有することは知的財産なのである。
  読まなくても置いておけば、なにがしかの知識は入ってくる。のみならず、たくさん買えばどれが良本で何が悪本かの判断がみただけでわかるようになってくる。この辺の機微はわからない人にはわからないのかもしれない。でもそうなんだから仕方あるまい。
  ということで最近ノートをいかにとるかとか本をいかに読むかということの前に、本を買うということの大切さを力説しなければならない悲しい世界がやってきているのである。
  掏られた携帯はすぐ買い直し、台湾にも旅行にいき、しかし非常に大事な論文の作成には新書すら借りた本であるというこの理不尽さに打ちのめされている。
  本を買えないなら(どんな貧困でもそんなわけはないのだが。とくに日本の本は安い)、もう働くしかない。アルバイトでなく、正社員として働くべきではないか。
  古代史捏造事件(旧石器土器辺の故意の埋設)の話を思い出して、岩宿遺跡における高卒行商人某相沢氏の姿を思うと、隔世の感がある。相沢はポキの親世代である。120キロを自転車で東京まで日帰りでがんばったなどということを読むと、ほとんど同じ国の人間とは思えない。とにかく本は買うべきなのである。
  決して怒って書いているわけではない。仏の慈愛で微笑んでいる証拠の写真。・・・引きつってみえるのはこの人の独特の微笑み方。