panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

居間にて、いまにみておれ、と思う職場


  居間に主たるステレオ装置を置くことにしたので、深夜聴くときには居間まで行くのであるが、やはり一番大きな部屋なので、音がよく通る。結構満足しているのである。したがって自室では簡単なラジカセで聴くのだが、職場でも古いラジカセなので、音源がこういう一つの機器のほうが、二つのスピーカーより、ポキには聴きやすいということもあって、それなりに完璧だと思うのである。
  ということが人生には必要である。山田由美子女史の博学極まりない『アメリカ民主主義の衰退とニーチェ思想』もとうとう読み切った。アラン・ブルームが本物の愚者で、ソール・ベローはそれなりの人物ということで書かれていたが、とにかくあらゆるアメリカ史やヨーロッパ精神の流れの広大な把握という点でこの人以上の人はなかなかいないのではないか。
  途中にというか随所に自分の判断を挿入するので、事実と評価という大事な二分法が成立しないところがあって修論なら徹底的に指導されるだろうが、それにしてもこの史的理解力は抜群である。むしろそういう現代史概説として読めるくらいだ。
  たとえば、2001年のハイジャックについて、空港のセキュリティチェックは民間に委託されており、それが時給6ドルの契約社員にまかせていたために機能しなかった、というような衝撃的な(少なくともポキは知らなかった)事実がさりげなく挿入されているあたりが、もう圧巻である。
  次には彼女のヘンデルと原初バブルについて書いたものを読むことにしよう。もう注文したが、もともとはセルバンテスを書いていた人がヘンデルやブルームについて書くという破天荒な学者である。山田。
  ヘンデルは当然こちらの趣味として読むのだが、成立したイギリス・ハノーバー朝との関わりでどう位置づけるのだろうか。もっと評判になってもいいような書き手だと思う。
  もう少しでこのゴルトベルクの全テイクを収めたグールドのを入手するつもり。函館で最大ボリュームでずっと聴くつもりなのである。ワルター・ギーゼンキングのモツ君全集を聴きながら。

  結局、ポキの体を流れる血はこういう関西の血なのである。関西に行ったことは数えるほどなのに、立派なもんだと思う。自分がね。