panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

物悲しい秋は生命力の弱まりなのか


  昨日から本格的にというか、さわりだけの仕事の開始であったが、肝心のフィリピン組は4人も休んでおり、感染なのか、秋だからか、それとも飽きてるからなのか、考える。ともあれ、仕事においてこの半年は、それほど大きな声をそれほど出さなくてもいいかと思うと、うれしい。でもポキも、咳はでないが、風邪が治りきっていないので、これが我々共通の何らかの細菌感染でないことを祈りたい。
  突然ヘンデルアメリカから届いて、注文していたことを思い出した。実は思い出せないのだが、アマゾンをみると注文していた。どういうこった。
  ファソリス指揮だが、やはりヘンデルは物悲しい。旋律通りの伴奏をつけるので、面白みがない。ヴィヴァルディならどんなオーケストレーションになるかと思って、不満を和らげる。ファソリス、ファジョーリをもってしてもヘンデルヘンデルだった。
  秋の物悲しさは生命力の減退に対する反応らしいが、このわびしさは日本の音曲全般に通底する特徴なのである。とすれば、日本文化全体がある種の生命力の低さを前提にしているのか。そうかもしれない。
  それにしてもこの秋の急激な侘しさへの傾斜は、それ自体は、強烈であるなあ。この傾斜にわびはない。それはきわめて過激である。

  昨夜というか今朝はなぜかよく寝れなくて、朝6時くらいまでかかってゲッツ板谷先生のこの作品を読んだ。ガンで亡くなった母親の残した日記の文章を解説というか注釈するもので、板谷一家の各人物については大きなコラムのようにサンドイッチ式に入っている。はじめてゲッツが30歳には結婚しており、息子が一人いて溺愛していることもわかった。インド紀行、ベトナム紀行のことも触れられているので、なるほどそういうことかと合点がいくこともあった。
  しかし亡き母を偲ぶ泣きの本である。ゲッツ板谷先生の人間味がよく伝わってくるが、肉親のことになると、たとえゲッツといえども、やはり普通の人間以上のことは書けない。日本人としての普通の?感情や思いやりや怒りなどが率直に書かれている。
  でもなんで寝れなかったのか。起きたのは9時近くだったから、普通ではない。昔9時前に起きるのが嫌でこの商売になった(これだけが理由ではない)のに、いまや9時まで寝ていることは天才的に無理なのである。ま、それでも6時に寝れば9時には起きられるわけで。というか連続3時間の眠りだったのか。うーん。
  明日は仕事でまた職場に行くことになるから今夜はよく寝たい。こんな闘病日記を読めばよく寝れることすらが奇跡に思える。
  一つ、ゲッツは実は日本有数の大企業創業者?の血筋である。曾祖父はその創業者が愛人との間につくった子供である。企業名は書かれていないが、日本人なら誰でも知っている企業だとのこと。だから曾祖父は品格のある人物だったらしい。しかしその妻からバカ一家が発していくのであるが。と思ったらその養父(ただし姻戚関係あり)が天下無双の大馬鹿ものだということが最後には明かされるのだが。
  いずれにしても4代目にはゲッツなのである。

(ゲッツ板谷。人のほうである)