panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

電脳郊外散歩道218年7月9日のブログから

  以下全文引用。体験的「共同体論」の一つの水準を示している。https://blog.goo.ne.jp/narkejp山形県の農作業とクラシック愛好家のブログであります。
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日曜日の朝は、小雨模様の曇天の下、地域住民が近くの河川の堤防に集合し、草刈りボランティアに従事してきました。老人とご婦人方は空き缶やゴミを拾い、若い人や壮年の男性は、手に手に草刈り鎌や動力刈払機などを持ち、ぼうぼうに伸びた堤防の草を刈り取ります。途中の休憩タイムは、ご近所以外の知り合いと話をする貴重な時間です。そういえば、若い頃はこういう行事に参加するのが嫌だったけれど、今はすっかり慣れたなあと、思わず懐古的な気分になりました(^o^)/

当方、田舎で生まれ育ち、若い時分に都会に憧れて、学生時代はある程度の都会で過ごしました。ご多分にもれず、田舎の閉鎖性と保守性、人間関係のしがらみ等、いろいろと批判的に見ておりました。ところがよく考えてみると、子供時代に田舎の閉鎖性や保守性を痛感するような経験はしておらず、しがらみを批判するほどの人間関係など、クラスメートとの付き合い程度で、実は持ちあわせていなかったのです。では、なぜこうした見方をするようになったのか。それは、たぶんテレビや新聞雑誌など、マスコミの影響だったのでしょう。石坂洋次郎青い山脈』がドラマ化され人気を博していましたが、他の学園ドラマでも、地域の有力者と結託する学校の管理職の描き方など、今思えば実にステレオタイプなものでした。実際に経験した中学生時代、校長先生は気骨ある立派な先生と思いましたし、ドラマと実際は違うと感じておりました。

ある程度の都会で暮らした学生時代は、自由で無責任なものでした。アパートの生ごみなどは、決まった場所に出すとアパートの大家さんが整理してくれておりましたし、責任感も薄く、ゴミの日もよくわかっていませんでした。地域行事なども知らず、自分の世界だけで世の中とは関わらずに生きていけるものと錯覚しておりました。

ところが、大学卒業後に関東某県に就職し、結婚や父の病気などを理由に田舎にUターンして、子育てをしたり父の没後に果樹園農業を受け継いだりしてみると、自分の生活と地域との関わりが次第に見えてきます。都会では保育園の待機児童問題があるけれど、田舎ではそういう問題はまず起こりません。なぜなら、地域コミュニティの中で子供の数はすぐに把握され、何年後には同学年の園児・児童数が何人になるか予測できますので、行政が先手を打って対策を立てています。
地域の河川管理は一部地域のボランティアにまかされていますが、これは洪水を防ぐための堤防の健全な維持が地域の防災に直結するからで、参加を強制しているのではないかと文句を言うと、逆に認識が足りないよと言われてしまうでしょう。確かに、80歳以上の一人暮らしの老人は免除されており、当日どうしても都合がつかない世帯は負担金(1000円)を払うことで免除されるのですから、むりやり参加を強制されるという批判はあまり当たっていないと言えます。

田舎に戻ったばかりで、都会の自由な暮らしに慣れた目には、田舎の閉鎖性・保守性、人間関係のしがらみなどと映ったものが、たしかに合理的な理由で維持されている慣習であると感じるようになりました。むしろ、都会の中心部の清潔さや美観は、実は多くの裏方の人々による分業と下積みの努力によって維持されているため、それが表面に見えてこないだけであり、人口の少ない田舎ではそれを自分たちで分担しなければならないというだけなのではなかろうか