panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

トランポラン(ちゃらんぽらんのアメリカ版)

www.amazon.co.jp

 今日が世界の帝国アメリカの皇帝を選ぶ日である。一見民主的な選挙ではあるが、アメリカは独立当時から、人々一般の明確な意思が表明しにくいような複雑な仕組みを導入していた。つまり少数エリートの自由主義は堅持するが、民主主義はこれを極力、少なくするという方式だが、これは当時のイギリス政体の小型版である。エリート間の自由は謳歌させるが、大量のノンエリートの平等な政治参加が直接、政体に影響しないように計らい、何重ものバリアを張っているわけである。素晴らしいですなあ、アメリカ親方の深慮。・・・たしかに自由の国アメリカとはいうが、平等の国アメリカという言い方は聞いたことがない。

  トランプに賭けたので、軽犯罪法に引っかからない程度の額ではあるが、儲けたい。バイデンが勝てば、その程度の額でも失うことになるのは、ちょっち耐え難い。

  ということで、どうなるか。結局、アメリカ国内でいえば、もう州の違いではなく、どの州でも都会はバイデン(仕方なく。もっと若い候補なら圧倒的に勝っていたろうに)、田舎はトランプであって、都会対地方の全般的な対立になっているように見える。

  従来のアメリカ史の文脈に直せば、国際主義対孤立主義ということになるのかもしれない。それが、南部や北部、西部といった地理的分布と関係なく、単純に、都会的な人間と地方的人間の対立となっているようなのだが。

  トランプには中国的専制国家の襲来に備える意味で勝ってほしいのだが、でも勝てば最悪のトレードをして中国を利することになるかもしれないところにトランプのうかがい知れなさがある。うーん。でもバイデンが皇帝でありうるのだろうか。・・・でも日本の首相といい線かもしれない。うーむ。

  我輩の生まれた頃の映画銀座二十四帖。監督は現在のむつ市生まれの川島雄三。ALSで亡くなった人だが、森繫久彌のナレーションが快適である。戦後10年の銀座は田舎のなんとか銀座みたいなのだが、清新な光にあふれていて、面白い。