panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

あっけなく今日までの事務仕事が終わる


  いろいろあって、今日からは電車でくることが多くなると思う。シャーベット状の道路がいやなのではない。道産子に東京の雪中を車で走ることくらい、屁の河童である(のか?)。ただ、ちょっと事情があって3月までできるだけ車は使わないようにしようと思っているのである。
  で早速この大雪警報である。途中、へたばって、横浜駅でちょっとした朝飯を食べてきたが、電車通勤って、結局途中の誘惑が多いのがいかんね。
  しかし是非出てくるべき理由が二つ、いずれも事務上の期限があってやってきた。きてみると、もう済んだ。あんなに心配していたのに、こんなに簡単にすむのか。はっきり申しましてがっくりきた。難しい文書が矢継ぎ早に送られてくる戦場のようなメール状況にあって、ようやくたどりついたというか書きあげた一枚の事務文書ですべてがあっけなく終わってしまう。
  これならなんで10月から呼びつけられて、いろいろレクチャーを受ける必要があるのか。有難迷惑ではないか。レクチャーのために面会時間を打ち合わせしたりして、大事かと思うではないか。たしかにあっちには大事なのだろうが(十年何年ぶりの申請とかいってたし)、まったくもって恐れをなしてしまった。
  さて入水(にゅうすいではない。じゅすいである。読みは)といえば、太宰。太宰は二人。西部は一人。池田信夫のブログで結構辛辣な追悼というか追想が書かれているが(どうやら西部はポキが大学に入った年に横浜国大から東大に移ったようである)、その最初のゼミ生池田の長ーい交流のしからしむるところなのだろうが、人柄は抜群によかったというのに、業績については厳しい。学者というより文章のレトリックの効いた評論家という評価である。英語があまり読めなかったというのは前から知っているが、サヨクつながりで東大に戻されたわけで、そういうサヨク陣営のなかの保守派として獅子心中の虫であった西部にとって、次々その身内というか弟子や友人から離反者が出たのは致し方なかったのかもしれない。
  ということを考えるが、もう一つ事務仕事をしたら帰ろうっと。