panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

西部邁、入水自殺


  昨日のMXテレビ、朝の彼の番組では、福田ツネアリが、言論は無力だと云ったということから始まった。福田はすべてマスコミが悪いとも云った人だが、西部の自殺報道を夕方衝撃的に知ったときにまっさきに思い出したのはこのことだった。
  いろいろ整理していた(表現塾の後継など)のは、このためだったのか。言論の無力は、言論を吐いていると思っている憲法学者をみていても痛感できる。福田の段階をこえて、西部的今日の段階では、言論の対象(大衆)が言論に無関心なだけではなく、言論を発する側がどうしようもなく頽廃しているのである。この二重の無力さを思うと、ポキですら切ない。
  今朝は西部のお仲間の中野剛志氏の『経済と国民』をメモしながら再読したが、知識人の「認識共同体」(中野氏の概念)が限りなく低落している現状では、中野氏まで西部邁と同じ目にあうのではないかと心配ですらある。
  ちなみにこの中野氏の本のテーマはドイツ歴史学派の父リストである。リストは最後はピストル自殺することになるのだが。
  こういうときにヴィヴルディのオペラは最適である。彼のどのアリアにも、凡庸の影はない。それを聴きながら、長万部生まれ(八雲?)の同郷人の死を悼みたい。