panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

人間は社会的動物ではない


  日曜の夜はいつも一人なので、世界の果てまでいってQの後は、ラジオの第二で文化講演会を聞くことが多いことは前に書いた。今日は社会心理学者の女性が人間は社会的動物だという、高校の政経の最初で習うようなことを云って話をはじめた。
  アリストテレスはしかし、ゾーン・ポリティコンと云ったのであって、そのまま理解すれば、ポリス的動物といったのである。だから社会という言葉を使ったわけではない。ルソーの頃には一般化していたとしても、ヨーロッパでも近代以降にしかない社会的という言葉をギリシア人が使ったはずはない。
  だから原文は政治的とか都市的とか訳すべきなのである。人間が社会的動物になったのは実は最近である。社会という言葉を簡単に使いすぎる。社会的でないポキは一貫してそう思って生きてきたが、ますます最近そう思う。
  いまに社会が解体する時がくると思う。そのときは個々の人間たちと巨大な統治体制が二元的に対峙する世界である。フランス革命ジャコバン派の夢だったともいえるが、それが帝国=中国だということもあるだろう。
  明日からまた仕事がはじまるかと思うと、なんだか学生時代に戻ったような嫌な気分である。この一年だけだから、我慢するが、限度ってもんが。
  女教師のラジオはやめて、宣教師たちが南米にもっていった伝導用の聖歌を聴きながら。今夜はボリヴィア。明日はペルー。名曲が多い。日本の戦中の戦意高揚のための軍歌も名曲が多い。それと同じことだと思う。