panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

朝、すがすがしく起床


  なぜか朝からだが軽い。直ったのか。まさかなあ。あるいは、もう論文を放棄したからか。でも、昨夜書き終わったと思って、扱った人々のなかのある人物の回想記を読んでいると、オーマイではある。
  というのも本では彼は6つの原理ではなしをすすめ、他のあらゆる本でも6つだったのてある。ところがその死後編纂された友人知人たちの回想記では、なんと10になったとあり(彼自身の論文が含まれていてそのなかで)、しかも元素表みたいに整理されているのである。どういうこと?
  もう書いてしまって6つの原理だと云って論じたのに。うーん。どうしようもないから、一般に流布されている所ではとかただし書きをつけるか。それにしても原理から元理に名前も変わっており(内容はわからない)、踏んだり蹴ったりではないか。
  だから断じて今朝の爽快さが書き終えたというか放棄したことの直接な満足ではないのである。それにしても。死んでから祟っているという雰囲気である。
  彼には二人の有名な師がいるのだが、その回想も彼自身のであり、踏んだり蹴ったりなのである。さすがに職業軍人あがりはいまの日本人とはちがう。
  おもてなしというフーコー的規律権力でがんじがらめとなったいまの人々に、これほどはっきりものをいう文章があるということをみせつけたいが、そもそもみせつけられたのはこのポキであり、被害をこうむったわけであるし、現にどうしようかと迷っているところでもある。なるほどなるほど。おもてなしの曖昧でニタニタした行き方も捨てがたいのか。
  いずれにしても今朝の快調さはトランプタワーの二人の遭遇にあるのでは決してないと思う。残念。呼ばれてないもんで。こういう猛者連中とはタイプのちがうポキなもんで。