panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

あっけなく寝てしまう


  用心して昨夜は10時には寝てしまった。ノロはやってこなかった模様。
  相変わらずオーサ・ラーソンを寝床で読むが、いい加減馬鹿らしくなる。でももう一冊買ってあるので何とかしてクリアしたい。ところどころに狼の独り言みたいな章がはさまれていて、それは完全に飛ばしているわけだが(そうでしょ?狼の独り言だよ)、しまいになんか関連が出てくるのか。そうだとしたら最後の解決を十分堪能できないことになるだろう。しかしそもそも一体何がこのミステリーの柱なのか、その謎がわからない。最初に一人女司祭(というのが北欧にはいるのか)が殺されるのだが、そこに前作で心を病んだ主人公女弁護士がかかわるのだが、心をやんでいるためにこの主人公が中心ではなく、馬面とされる女警官が活躍する。にもかかわらず、主人公の病んだ心の動きの描写が筋を中断させるので、もうほとほといやになった。いやんだくなった(東北弁)。
  ということで、日中は長江文明論に没頭している。果たしてこれが自分の専門の勉強になるのか不安だが、面白いことは抜群である。一人奮闘している安田先生に続くものはいるのか不安であるが、夏雨文明と冬雨文明ではその後の文明の特徴が正反対になる。日本=縄文文明は夏雨文明である。長江しかり。世界の四大文明はいずれも冬雨で、これを自然=人間搾取系文明という。夏雨は自然=人間循環系文明である。ということなのだがね。
  あ、先日この話をしたときに(ある人に)忘れていたが、結局、長江文明の前にはいまの吉林省あたりに紅山文化というのがあって、これが南下して長江文明の誕生に一役買うらしい。ということで長江の前に紅山があるわけだが、そこでは玉と龍が信仰されていた。これが実は日本列島にきているのではないかともいわれ、龍は蛇となって神棚の前のあれ何といったか、注連縄(しめなわ)であるね、シメナワとなる。シメナワは二匹の蛇がからまっているものなのである。
  長江文明は鳥と太陽信仰が特徴である。それも日本にやってきているわけだが、いま座っている椅子に置いたベトナム産のクッション包みも明らかに太陽をかたどった文様からなっている。
  夏雨地帯は温和湿潤な環境にあって、人間は環境と共存していた。アニミズムはこういうところから生まれる。冬雨地帯は乾燥しているので環境は人間と両立しない。それは人間が支配すべきものなのだ。一神教の闇と安田先生がいうところの深淵は、だから、我々の関知するところではない。文明の要素とされる文字も金属器もない長江文明は平和な環境一体型の文明だったということなのである。
  国家も政治も大きな要素としてはいらないのであるね、そこでは。おまんまの食い上げではあるが。我輩は。