panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

カルストはドイツ語


  雨である。問題はまだ作成中。二つつくるのである。いろいろ審査があるので、手も足も抜けない。手は別にして足は抜きたいのだが。やくざな稼業なので、これって。
  カルスト(石灰岩地帯)はドイツ語でスロベニアから北東イタリアの地形をいうことを知った。偶然。そして桂林、石林など中国南方カルストやベトナムハロン湾そしてタイ・クラビなどがその例のようである(タイのことはウィキには出てない)。
  なるほど。我輩愛好のカルストで有名なのは日本では秋吉台だが、行ったことはない。
  さて、東亜半月弧はブータンから江南の地までの仮説的な文化圏であるが、どうも黄河文明の連中が気候変動で南下して(最近はやりの)長江文明をほろぼし(鉄や馬がいたのは黄河文明だから)、そのときに一方は山のほうに逃げ、漁労民はボートピープルとなって海外に出た(当然日本列島にも来た)、ということのようであるから、もともとは半月弧の民族は平地で焼き畑をやっていたようである。納豆とか漆器とかモチ愛好とか照葉樹林文化的現象はこうしてより深く森林とかかわるようになっていくのだが、山から平地に降りたのではなく、山にむかって逃亡したというふうに考えるのなら、これはジェームズ・C・スコットのいうゾミア論(山岳少数民族は文明を知らない未開な人々ではなく、何らかの形で争いごとを回避して山に逃れた政治的な民であるということ)と結びつくではないか。うーん。
  ゾミアは前に紹介したアナキスト政治学の金字塔である。思わず照葉樹林学者たちの説がここにいたって現代政治学とかかわるわけである。なお、長江文明が消えていく端緒をなした気候変動は4000年ほど前の現象である。
  ちなみにカルルス温泉というのが登別温泉のそばにあり、我輩は中学の旅行で行った。カルルスはどういう意味なのだろうか。カルルスと聞くと、それ以来、カルストとカリエスを同時に思いだすことになるのだが、やはり落ち着きのない中学生だったからであろうか。まったく因果関係がない。ただの音の近接だけではないか。でも、、、いぜん今でも同じ連想ゲームになってしまうわけであるが。少年老い安く、額、低し。