panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

豊かな北海道の相撲


  テレビをみると、相撲と北海道の関係がクローズアップされていた。かつて北海道は相撲王国だった。戦後は50名の関取が出、二位は青森である。横綱も8名でトップ、二位は青森の6名である。つまり北という地域と分かちがたく結びついた、貧困と寒さと低学歴が相撲王国の理由なのである。ちなみにこのうち寒さはいわゆる一つの根性(忍耐力)をつける。・・・根性のない我輩は寒くなると、むしょうに悲しくなる。現在もやや悲しい。
  ところが現在、十両に一人の道産子がいるだけで、他に北海道出身者はいない。しかも彼は13年ぶりの道産子関取であった。つまり幕内には一人もいないというわけである。
  この背景ははっきりしていると思う。貧困から脱却したのである。脱却した以上は相撲のような裸丸出しの商売は避けたい。親はそう思う。子供だって他にいっぱいスポーツはある。
  寒さについても全館暖房のような住宅も増え、寒中でも北海道の人間は車で出かけるわけで、東京より場合によっては寒風にさらされることが少ないかもしれない。実際、通勤通学でよく歩く首都圏より日々の歩数は少ないのではないか。事実、学校の生徒の体力検査で北海道は47位、最低の体力なのである。そんなところから力士が出てくるわけがない。しかし、低学歴は克服されたのだろうか。少なくとも中卒で学業をやめなければならない家庭はもうほとんどないのではないか。
  かくして我輩自身も20代の院生であったころ、時代がどんどん自分を追い越していき、郷里の友人知人たちがアメリカのような生活をしだし、それにつれてものの考え方も変化していったことをまざまざと思い出す。マルクスのいうように、存在が意識を決めるのである。まさかと思ったが、しかし思えば、我輩はおじのおかげで、高校時代から、ワンボックスカーで河原のバーベキューを経験していたのである。本土?でBBQがはやるのはもっと後のことではないかと思う。・・・ま、インドアな我輩はそれほど楽しんだというわけではないのだが。なんせ不器用なもんで。
  相撲に限らず、野球だって芸能界だって、当時は、そうした社会階層との関数であった。豊かな家庭の師弟がそうした人気商売につくことはあまりなかったと思うのだが、それはやはり客商売は水商売であって、人の自立をそぐ要素に満ちていたからであろう。
  ともあれ、やはり社会科学は役に立つ・・・こともある。大鵬は大谷ショウヘイ投手に似ている。ちなみにまた我輩についてだが、歩く歩数はまずどんな北海道人に比べても少ないと思う。600万道民一体力低下が著しいと思う。まずい。