panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

元が勝てなかったところはジャワにもある


  シンガサリ王国が朝貢を拒絶したのでモンゴル軍のジャワ遠征が生じたが(1293年)、王族系のあるジャワ人がモンゴル軍と提携してシンガサリ王国を滅ぼした。後にモンゴル軍を追い出してつくったのがマジャパヒト王国である。本拠はジャワ島。
  マジャパヒト王国が西のスマトラ島を攻めてシュリヴィジャヤ王国を滅ぼす。かくして東南アジアの海上貿易を一手にするが、シュリヴィジャヤ王国の関係者が逃げてマラッカにマラッカ王国をつくるのではないかと思う。マラッカ王国は明の鄭和艦隊の保護下に生まれたのだが(だから中国人がたくさんいるのか?マラッカ・チャイニーズ。19世紀の移住者が主だと思うけど)、それゆえ以後は、海上貿易はその独占となる。そして16世紀はじめマラッカ王国ポルトガルに占領される。西洋列強による大航海時代のはじまりである。
  ということで、モンゴル軍をけちらしたということではないが、拒否されたという意味では元寇日本、神聖ローマ帝国、エジプト・マムルーク朝(最終的にオスマントルコに破れる)の三カ所だけではない。ま、そういう本があるので。もっと複雑ではないかと。
  シュリヴィジャヤ王国のシュリはスリランカのスリ(SRI)である。タイ語だとシーと発音していると思う。だからヴィジャヤだけ覚えればいいのだが、スマトラ島といえばパレンバン
  こういう写真のような絵やその他の空挺隊の落下傘降下の写真を小学生時代から繰返し自宅の世界歴史叢書みたいのでみて、正直云って、大変恐ろしかった。おどろおどろしい。絵も写真も。しかし当時一番恐ろしかったのは、クレオパトラが蛇を抱いて最後に自決する絵。このときの朱色の怖さが、我輩の歴史への畏怖の原点になるとは思わなかった。というか、なったんじゃないといま思ったわけで。
  日曜の昼。いいお日和である。マンション一斉清掃も終わり、居間のカーペットを片づけ、廊下も含めて、床を水拭きした。うーん。右肩が動きにくく、左肩には脂ができている我輩。でも一人だとがんぱっちゃうわけで。ちゃう?ちゃうちゃう?・・・大阪の血が騒ぐ。午後、家人2に本を買うため横浜に出る予定(今日は下関の家人総本家へ。先々週は広島だったが。西日本の血が騒ぐのか)。