panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

躁鬱気質の長い循環


  職場の自室である。今日は気まぐれに帰る。
  理由は不明だが、ようやく書く気になる。目次だけずらずら(づらづら?)書いてある草稿に内容を入れていくわけだが、寄る年波で長くつづけて書く体力がない。気力もない。ついでに贅肉はある。人生は思うようにいかない。それでもフツフツと沸く気力。これが鬱の本来の意味である。鬱勃(うつぼつ)の鬱なのだ。つまりジャングルの木々のように、鬱蒼(うっそう)と繁茂している状態を示すことばが鬱なのだ。うそだと思ったら、辞書をみよ。うつだと思ったら、通院せよ。
  これは要するに我輩が躁鬱気質であることを証するものである。いつも連続的に仕事をすることができない。家人1はいつも一気呵成に何かをなし遂げ、そのたびに家人連合軍は迷惑するのだが、低迷しつつ根気よく何かをつづけるのが我輩で、しかもそこに躁鬱の波があるために、根気よくやっているのはこうした僥倖(ぎょうこう)の時を待つためなのである。結局、結果的にはそういうことになる。
  ということでやる気満々となりはじめた。理由はあくまで不明だが思い当たることもある。恥になるので書かないことにしよう。ともあれまた書くことに戻ることにしよう。